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(21)驚愕の“裸の王様”ぶり 「TRFのメンバー全員に1000万円プレゼント」

続いて検察官は、小室被告の供述調書のうち、自らの収入などについて語った部分の読み上げを始めた。

検察官「私は昭和50年ごろからプロのミュージシャンになり、61年から63年にはTMネットワークで活動しながら、渡辺美里さんなど著名な歌手の歌の作曲などをしました。その後、平成6年から11年ごろまでの間、globe、TRF、安室奈美恵さんらの曲をプロデュースし、数々のミリオンセラーを送り出しました。その間、日本の音楽界で最高の権威がある日本レコード大賞を平成7年から2年連続で受賞し、平成8年にはオリコンのシングルランキング上位5位を独占しました。自分自身、出した曲は珠玉の出来と自負していました」

読み上げられた内容はまさに小室被告の絶頂期の経歴。今は被告人として法廷に座る小室被告が、まさに「世界のコムロ」だったことを改めて思い起こさせる。

検察官「しかし、そうしたヒットは大手芸能事務所やテレビ局が作り出したブームでもありました。カラオケボックスやCDなどハード面が大きく拡大した時期とも重なり、大きく売れたのだと思います。私は確かに自分が打ち立てた大記録にうれしいという思いもありましたが、あまり実感はありませんでした。ありもしない衣装を身につけた私を、周囲は褒めちぎりました。裸の王様でした」

絶頂を極めた時期から約10年。自ら語った「裸の王様」という言葉を検察官が読み上げても、小室被告は表情を変えない。

検察官「ブームに乗り、年間で数億円から十数億円の収入がありました。平成8年から10年にかけては長者番付に名を連ねました。しかし、私はもともとキーボードプレーヤーであり、金銭を管理する能力はありませんでした」

検察官は続けて小室被告の“散財”の状況について述べていく。

検察官「ベンツに経費込みで2億円、世界で限定25台しかない別のベンツには3億円かけたこともありました。カリフォルニアに6億3000万円の住宅、ハワイのオアフ島に1億2000万円の住宅、バリ島には総額2億円の住宅と土地を買いました。飛行機のファーストクラスを2000万円で借り切ったり、クリスマスにTRFのメンバー5人に全員1000万円をプレゼントしましたし、globeのメンバーにも名前にちなんで962万円をプレゼントしたりしました。私は魚介類が苦手で偏食気味でしたが、高額なお店で飲食する際にもすべて私がおごっていました。母校の早稲田実業には数億円規模の寄付をし、平成13年には小室哲哉記念ホールを開設してくれました。私自身、どれくらいの金を使っているのか分からなくなっていました」

小室被告はみけんにわずかにしわを寄せたまま、読み上げにじっと聞き入っている。供述は、やがて小室被告に訪れた“落日”へと移る。法廷の小室被告は相変わらず、静かに正面を見つめたままだ。

検察官「あまりにも飽和した小室サウンドでした。その後、ドル箱だった安室奈美恵さんが結婚して産休に入る一方、宇多田ヒカルさんなど私とは無関係の才能あるアーティストが台頭してきました。平成11年ごろからはヒット曲にも恵まれず、私の曲がCMやドラマで使われることも激減しました」

こうして本業の音楽関係が下火になる中、小室被告は専属マネジメント契約をしていたソニー・ミュージックエンタテインメントから契約精算を告げられる。このため、前もって同社から受け取っていた約18億円を返済する必要が生じた。同時期、小室被告は香港への進出を決意する。

検察官「(メディア王と呼ばれた)ルパート・マードック氏とともに香港に合弁会社を設立し、平成10年に音楽制作会社ロジャム・エンターテインメントを設立しました。その後、平成13年に上場し、プロデュース印税の受取窓口をこの会社にしました」

上場直後こそ同社の株価は急騰したが、小室被告は保有株をすぐには売れない決まりとなっており、そのうちに株価が暴落。小室被告は70億円の含み益を失ったという。

検察官「上場と同時期の平成13年に前妻と再婚しました。しかし、私は前妻とは合わず、結婚後ほどなくして会話がない状態でした。その後、私は自分名義で10億円を借り入れてスタジオ改装などをする一方、平成14年3月に協議離婚しました。私は一刻も早く前妻と別れて(現在の妻の)KEIKOと結婚したかったので、懐は厳しかったのですが、多額の慰謝料に同意しました」

続いて乙4号証の読み上げ。自ら「甘い生活だった」と振り返るKEIKOさんとの暮らしぶりからは、破滅的ともいえる小室被告の心情がうかがえる。

検察官「平成14年11月にKEIKOと再婚し、2人暮らしを始めました。すでに音楽の本業でプロデュース印税を手放していて、私自身じわじわと坂道を転げ落ちている実感はありました。しかし私は、KEIKOやKEIKOの実家への体面がありました。破綻直前まで、KEIKOを楽しませてやりたい、ぜいたくをさせてやりたいと思っていました」

言葉の通り、小室被告は散財を重ねていく。しかし『まだブレークするはずだ』と考えていたといい、『考えが甘かった』という。

検察官「結婚後1年間くらいは、人生で最もぜいたくをしたと思えるほど、湯水のようにお金を使いました。KEIKOにブランドものの服やバッグ、時計を買ったり、総額は数億円にはなっていたと思います。スタッフの中には苦言を呈する者もいましたが、2人で過ごす今が何よりも安らぎを得られ、大切と感じていました。KEIKOと2人で豪奢(ごうしゃ)な暮らしをしていても、少なくとも1曲はヒットして、私の3度目のブレークがあるだろうと考えていました。しかし、私自身、KEIKOとの甘い生活で以前より創作意欲が減っていたのも確かでした」

こんな生活はやはり長続きしなかった。平成15年3月には前妻への慰謝料の支払いが滞り、平成16年8月には長女への養育費すら支払えなくなってしまう。

⇒(22)「本当にKEIKOは私の懐具合を知りませんでした」