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(3)小室被告「良い音楽をつくる純粋な心失われた」

その後弁護人が、読み上げた嘆願書などを机上に積み上げた。裁判所職員はデジタルカメラで撮影、裁判官に見せる。

裁判長「それでは、引き続き被告人質問に入ります。被告人は前へ」

証言台の前に進んだ小室被告。

裁判長「座ってください」

小室被告「立ったままでいいです」

座るよう促された小室被告は、立ったまま質問を受けることを希望した。

裁判長「尋ねられたことだけでいいので答えてください。大きな声で」

弁護人「起訴状の認否の際、あなたは『おおむね正しいと思うが聞いてから判断したい』と述べた。その後、実際に聞いてみて、おかしい点はあったか」

小室被告「ありませんでした」

弁護人「誤りなどもなかった」

小室被告「はい、結構です」

弁護人「被害者に対する現在の気持ちは」

小室被告「大きな過ちを犯し、大変後悔し反省しています。助けてくれようとした気持ちに背いてしまった。事件から2年半たちますが、被害男性は私とは比較にならないほど苦しい、不愉快な思いをされていると思います。また(公判の間)、安易、稚拙な言動で不愉快な思いをされたと思い、おわび申し上げたい」

弁護人「犯行に及んだ理由として、収入が激減した後も派手な生活が収まらず借金を重ねたと指摘されたが、間違いないか」

小室被告「間違いありません」

弁護人「ヒット曲が出なくなり、前妻への借金、事業の失敗があったということだが」

小室被告「その通りです」

弁護人「あなたの最盛期は90年代後半だと思うが、どのくらいの曲をつくっていたのか」

小室被告「1年間で作詞作曲、編曲を合わせれば100曲ぐらいです」

弁護人「どのくらいのグループを手掛けたのか」

小室被告「50組以上です」

弁護人「一番忙しい時期だった」

小室被告「最も働いた時期です」

弁護人「充実していた」

小室被告「はい、スタジオに入っているのが楽しかった」

弁護人「音楽活動を始めてから、TMネットワークの時代はどうだったか」

小室被告「中学の時からプロになるのが夢だった。デビューは25年前で、ファンの皆さんに楽しんでもらえるものをつくるのが目標だった。たくさんの人に認められたいと思っていた」

弁護人「平成11年ごろからヒット曲が出なくなっているが」

小室被告「93年〜94年ごろから急激に作詞作曲の依頼が増えて、そんな状態が約4年続いた。多少頭が疲れてきたというのもあったが、契約というものがあり、それにはお金がつきまとう。純粋に良い音楽をつくろうという心が失われたような気がします」

弁護人「楽しめなくなった」

小室被告「はい、仕事になってきてしまったような気がします」

弁護人「心境の変化に自分で気が付いていた」

小室被告「はい」

弁護人「借金返済のため、お金のための音楽、仕事では成果が現れなくなってきたということか」

小室被告「仕事としてはできたが、頭の中を音楽でいっぱいにすることができなくなってヒット曲が出なくなり、徐々に収入も苦しくなっていった。悪循環です」

弁護人「いつか潮目が巡ってくれば売れると思っていた」

小室被告「幸いTMネットワークやプロデューサーとしての成功があったので、また波が来ると安易に思っていた」

弁護人「証人に(エイベックス・グループ・ホールディングスの)松浦氏、千葉氏が立った際、『(小室被告は)金ができて傲(ごう)慢(まん)になっていった』と言っていたが」

小室被告「20年来の知人ですが、目の前でそういうことを聞いたのは初めてでした。その通りだと実感しています」

弁護人「2人とは距離ができていた」

小室被告「はい、距離ができていました。通告してくれていたということだと思います」

弁護人「ソニー・ミュージックエンタテインメントの方も嘆願書を書いていたが、距離はできていた」

小室被告「はい、慢心、過信していると忠告してくれていたと思います」

弁護人「音楽のことで、あなたの方から相談したりはしなかったのか」

小室被告「ここ数年、お金を含んだ音楽の相談は何度もしたが、音楽のみの相談は一度もしませんでした」

弁護人「マネジメントをしてくれている人がたくさんいたわけだが、音楽のことを分かっている人はいたのか」

小室被告「スタジオの中にいるスタッフには信頼できる人間がいたが、お金関係のスタッフで、音楽のことを良くしてくれる人はいませんでした」

弁護人「生活面に意見してくれる人は」

小室被告「そういう布陣にした私の責任ですが、いませんでした。私の選んだスタッフなので、私の責任です」

⇒(4)小室被告「音楽のない拘置所生活は厳しかった」