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(3)被告にとって無期懲役は死刑より辛い

被告は真摯に反省

 弁護人はこれまで数々の刑事事件に関与してきましたが、星島貴徳被告ほど真摯(しんし)に反省している犯罪者を見たことがありません。残念ながら、被害者には被告の反省は受け入れられていませんが、これは「坊主憎けりゃ、けさまで憎い」と言われるように、むしろ当然でしょう。本件証拠上、認められる被告の反省の情について整理します。

 反省の情は、単に逮捕後に始まったものではなく、犯行直後に東城瑠理香さんの姉や、実父に会った際にも心の中では強く反省の情を感じていたほどです。星島被告は、検察官調書で以下のように述べています。

 「私は自分がこの人の妹さんを殺したのだと思いました。東城さんのお姉さんなど東城さんの家族の人は、東城さんがまだ生きているかもしれないと思って、帰ってくることを願っているだろうなと思いました。私だけは東城さんのお姉さんたちにはその希望がないことを知っていました。そう思うと、さすがに東城さんのお姉さんに『妹さんを殺してしまってごめんなさい』と謝りたい気持ちになりました」(4月19日午後、9階エレベーター前で東城さんの姉と出合った際)

 「私は、東城さんの父親が優しい人だと思いました。思わず床に土下座して『すみません、僕が殺しました』と言ってしまいそうになりました。私は東城さんのお父さんに何度も『すみません、すみません』と言い、一緒にいると本当のことを話してしまいそうなので、9階でエレベーターから降りると逃げるように918号室に戻りました」(4月20日午後、1階エレベーター前で被害者の父親と出合った際)

 被告は、犯行時こそ自己の犯行を覆い隠そうとして、東城さんを殺害し、死体を遺棄し、最初の警察からの事情聴取でも否認していましたが、担当刑事とのやり取りの中から、東城さんのご遺族が悲しんでいたことに思い至り、罪悪感に耐えられなくなって自らの犯行を認めたのです。この点について、星島被告は検察官調書で以下のように述べています。

 「(4月)24日10時ごろ、取り調べ検事から『星島、最後に1つだけ教えてくれ。お前は本当に、東城さんの家族に対して、少しも、悪いとは思っていないのか』と『少しも』の部分を強調して私に聞きました。私はこのとき、4月19日に(現場となったマンション)9階の共用通路でうつむいていた東城さんのお姉さんや、4月20日にエレベーターに乗り合わせた東城さんのお父さんのことを思いだし、思わず『いいえ』と言ってしまいました」

 「身勝手で自己中心的な私が、最後に『いいえ』と言い、東城さんのご遺族に悪いと思っていることを認めてしまったのは、やはり刑事さんに急に東城さんのご遺族のことを持ち出され、東城さんのお姉さんやお父さんが悲しんでいたことを思いだし、その罪悪感に耐えられなくなったからだと思います」

 「私は、足のやけどのことで自分の両親を恨んでいました。両親とはもう10年以上も音信がありません。私は自分には家族とのきずながないことを、よく自覚していました。東城さんには、この家族のきずながあり、お姉さんやお父さんたちと助け合って生きてきたのだろうな、と思いました。そんな自分になく、東城さんにある、家族のきずなを断ち切ってしまったのだと思うと、ますます罪悪感が募りました」

死覚悟し事実関係認めた

 このように、東城さんには家族のきずながあり、姉や父たちと助け合って生きてきたのであろうと思うに至って、ますます罪悪感が募り、事実を認めるに至ったのです。その後はすべて正直に事件について説明し、逮捕直後から捜査、公判を通じて一貫して事実を認めていますが、この態度は反省の表れの一つです。

 そして、取り調べ段階では以下のように供述し、死を覚悟しつつ、東城さんや遺族への謝罪の気持ちを込めて、事実関係をすべて認めています。

 「私は自殺も考えました。東城さんは私のことを恨んでいると思いました。東城さんの恨みは、私をどこまでも追いかけてくると思いました。東城さんのご遺族への罪悪感も、私に重くのしかかってきました。私は、自分は首をつっても楽に死ねないと思いました。どうせ死ぬのなら、もう少し楽に死にたいと思いました。東城さんと、そのご遺族に謝ってから死のうと思いました。どうせ絶対に許してもらえないのだろうけど、それでも謝れば、自分に重くのしかかっている罪悪感が少しでも軽くなるのではないかと思いました。死ぬのはそれからにしようと思いました。私は『全部本当のことを言おう』と決めました」

 被告人質問においては、検察官から極めて厳しい質問が続いていましたが、すべての質問に偽ることなく、弁解することなく答えてきました。たしかに一部、検察官請求の捜査段階の供述調書と法廷での供述が齟齬(そご)する部分も認められましたが、記憶違い、あるいはニュアンスの違い、あるいは法廷の雰囲気と捜査段階の雰囲気で多少、答え方に食い違いの出ることは仕方ないと思われ、積極的に弁解していたとまでは言えないものと理解しています。

 検察官の質問は誘導尋問もあり、また仮定の質問や重複的執拗(しつよう)な質問が加わっていましたが、弁護人はできる限り異議を唱えずにきました。それは星島被告が一切弁解をせず、検察官の質問に真摯(しんし)に対応している姿を、裁判官にごらんいただきたかったからです。

公開処刑といわないまでも…

 刑事裁判手続きが変わろうとしている中で本件審議が行われたため、本来、すべてを認め反省している被告の供述調書が証拠として採用されたならば、これほど厳しい被告人質問はなされなかったはずです。また事実を争わず、反省している星島被告に対して、本来、辛く思いだしたくない内容の質問をした場合、他の被告が本件のようにすべての質問に答えられるか疑問です。本件は、検察官から「被害者の遺族が、被告人の口から真実を聞くことを望んでいる」旨聞いていたので、その義務感からすべての真実を語ったのです。

 今回の裁判を続ける中で、果たして深く反省をしている星島被告に、公開の法廷で、しかも被害者のご遺族やマスコミ、一般傍聴人の前で、すべてを再度供述させることに疑問すら覚えていましたが、被告人はその質問にすべて答え続けました。これは、まさに被告人の反省の情を物語るものであるばかりか、その状況は、被害者の遺族が求める「公開処刑」とは言わないまでも、「市中引き回し」に等しい扱いであったと言っても過言ではないでしょう。

 星島被告は逮捕直後、弁護人との接見の際に、東城さんの冥福(めいふく)を祈る方法を尋ねたため、弁護人は般若心経を差し入れたところ、これまで毎日のように写経を続けています。昨年11月の時点ですでに2000枚以上になっており、さらに写経を続けていますが、そのすべてに東城さんへの謝罪の文言が書き加えられているのです。

 拘置所の自室に簡単な祭壇を作り、生花などのお供え物をして、毎日東城さんの冥福(めいふく)を祈っています。自分の犯罪を許してもらうために冥福(めいふく)を祈っているものではなく、写経を続けているものでもありません。あくまでも純粋に東城さんの冥福(めいふく)を祈るために、これらを続けているものであるため、公判廷に膨大な量の般若心経を写経したものを提出することを望んでいません。

生涯供養し続けることも事件処理の選択肢

 星島被告の犯した罪は決して軽視できませんが、「無期懲役」に処したとしても、果たして罰刑の均衡を失するといえるでしょうか。「永山判決の死刑基準」と比較しても、決して被告を死刑に処しなければ正義に反するとは思えないのです。

 昨今、極悪非道な事件、人間の生命を軽視した事案が後を絶ちませんが、本件のような事案は極めてまれな事案であり、死刑に処したからといって、一般予防に資するとは到底、思えません。

 最高裁判所の「永山判決の死刑基準」に当てはめると、星島被告に対しては死刑をもって臨む必要までは認められません。また、すでに死を覚悟している被告に対し、果たして実際の死刑判決が必要でしょうか。星島被告にとっては無期懲役は死刑より辛く厳しいものになるかもしれませんが、無期懲役の刑をもって臨み、将来にわたって東城さんの冥福(めいふく)を祈らせるべきであると考えます。

 人間は2度死ぬといわれています。一度は肉体的に死亡するときであり、もう一度はその死んだ人のことをみんなが忘れ去ってしまったときであるといいます。たしかに東城さんのご遺族や関係者も、東城さんのことは一生涯忘れないでしょうが、星島被告も一生涯、東城さんのことを忘れずに供養し続けることでしょう。

 今回の事件によって、星島被告は命の尊さを理解したはずであり、東城さんの冥福を祈るという気持ちが極めて強いという以上、刑務所内において東城さんの冥福を祈らせる毎日を送らせることも、事件処理の選択肢の1つであろうと考えます。

⇒第7回公判