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(1)「先例踏まえ、冷静な判断必要」

 星島被告は昭和50年1月5日に生まれ、今回の犯行までの33年4カ月間と13日の間、小学校、中学校、高校と大学時代を通じて何ら問題を起こしたことはなく、社会人になってからも一切犯罪に手を染めたことはありませんでした。勤務先では仕事ができると評価され、新人社員を率先して教育する立場にあり、ごく平凡な日常生活を送っていました。

 そんな被告が、マンションの同じフロアの別の部屋に住む東城瑠理香さん=当時(23)=宅に侵入し、わいせつ目的で略取した上、自宅に連行したものの、当初の目的は遂げることができませんでした。ただ、警察官に発覚するのを恐れて、瑠理香さんを殺したのは平成20年4月18日であり、その後、5月1日までに、死体を解体してトイレに流すなどしたほか、遺骨をゴミとして捨てるといった犯行を重ねましたが、その間わずか13日間であり、それ以降は警察の拘置所で猛省の日々を送っています。

 事件が一過性のものであるなどと言って片付けるつもりはありません。犯行が明らかになって世間を震撼(しんかん)させたことも、検察官の指摘の通り、ご遺族の被害感情が峻烈なものであることも、近隣社会に与えた影響が大であること重々承知しています。

 ご遺族は、当然のごとく被告の死刑を求めていますが、弁護人としてもご遺族や関係者の心情は察するに余りあり、ご遺族の心情としては誠にやむを得ないものと理解しています。被告が死をもって償う覚悟であり、死刑を望んでいることも、法廷での供述などから明らかです。

 しかし、被告と接しているうちに死刑を処することに強いためらいを覚えるようになりました。

 ご遺族が死刑を望み、検察官が死刑を求刑し、さらに被告本人すら死刑を望んでいるから、判決も死刑にするというのであれば、裁判は無意味なものになってしまいます。刑事裁判に携わる者として、過去の先例などを踏まえ、冷静に分析し、判断する必要があると考えます。

事実関係

 各起訴事実については、被告自身がすべて認めており、弁護人も一切争うものではありません。確かに、20年4月18日に瑠理香さん宅に侵入してから逮捕される5月24日までの間の行動は弁解の余地のないものですが、検察官と罪体そのものに関する評価が異なる部分もあります。

情状

 被告に死刑を言い渡すべきであるか否かを検討する際には、昭和58年7月8日の最高裁判決のいわゆる「永山事件判決」の死刑基準が検討されなければなりません。この判決は「(1)犯行の罪質(2)動機(3)態様、とくに殺害の手段方法の執行性・残虐性(4)結果の重大性、とくに殺害された被害者の数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状等各般の情状を併せ考察し、その罪責が誠に重大であって、(10)罪刑の均衡の見地からも(11)一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」としています。今回の量刑を考える上でも、これに沿って検証されるべきであります。

犯行の罪質

 もし今回の事件で、死体損壊・解体行為がなかったとしたら、果たしてこれほどまで厳しい求刑が行われたでしょうか。住居侵入、わいせつ目的略取の上、瑠理香さん1人を単純に殺害したという事件であった場合を想定したとき、果たして検察官が死刑を求刑したでしょうか。あるいは、裁判所でも死刑を検討することになったでしょうか。弁護人の答えは「否」です。

 死体損壊・遺棄だけであれば、懲役3年以下に過ぎないのです。もし、遺体を単純に遺棄したとしても、やはり、死刑が求刑されることはなかったのではないかと考えます。

 そうであれば、永山事件判決が死刑を選択する際に検討すべき、「罪質」を考慮すべきということは、今回でも、住居侵入、わいせつ目的略取、殺人の起訴事実に、法定刑懲役3年以下である死体損壊行為が加わった事案の量刑として判断されるべきです。

 確かに、最高裁は、いわゆる「新潟女性監禁事件」の上告審判決で、「併合罪の構成単位である各罪についてあらかじめ個別的な量刑判断を行った上、これを合算するようなことは、法律上予定されていない」としています。量刑に当たって、併合罪を構成する個別の犯罪、責任を考慮することは、むしろ当然ではないでしょうか。

 死体損壊・遺棄行為は極めて残虐であり、死後とはいえ、瑠理香さんの人格を全く無視するものと言わざる得ません。だからといって、個別犯罪の責任の軽重を無視し、感情的に被告の責任を判断することは、憲法が保障する罪刑法定主義や適正手続きに反すると言わざる得ません。

 法廷では、検察官が視覚に訴える立証活動を行い、成功しているように思えますが、プロフェッショナルの裁判官が、冷静に分析し、理屈に従って判断していただきたいと思います。

動機、計画性

 被告は当初、わいせつ目的で侵入し、殺害することなどは考えておらず、暴行を加えたり、凶器を持って脅迫したりすることすら考えていませんでした。

 殺害や死体遺棄の犯意が生じたのは、瑠理香さんを自室に監禁している際、警察官が被告宅のドアをノックし、警察に発覚したことを察知した直後です。

 瑠理香さんを殺害し、死体を損壊して遺棄するに至った動機は、犯罪発覚を防ぐことにありました。確かに、動機自体は自己中心的なものであり、決して酌量すべき余地はありませんが、少なくともしばしば死刑が求刑される身代金欲しさや保険金詐欺といった目的とは違うことも事実であります。

 このように動機や計画性に着目すると、必ずしも死刑にすべき事件とは思えないのであります。

⇒最終弁論(2)「同情すべき生い立ちが犯行にいたった要因」