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第2回公判(2010.11.26)

 

(8)母親は「同級生と遊ばせないようにした」…友だちもなく家庭は「張りつめた空気」

家宅捜査

 中央大理工学部教授の高窪統(はじめ)さん=当時(45)=を刺殺したとして殺人罪に問われている卒業生で家庭用品販売店従業員、山本竜太被告(29)のピアノ講師の女性の供述調書を、女性弁護士が早口で読み上げていく。

 この女性は、いつまでも過保護に接する母親の教育方針に疑問を抱いていたようだ。

 裁判員らは、女性弁護人の方を見たり、目をつぶるなどして調書の内容を聞いていた。

弁護人「竜太君はいつまでたってもお母さんから離れない印象でした」

「竜太君はまじめで素直な印象。とても殺人をするようには思えず、今でも信じられません」

 山本被告の逮捕後にも母親と電話で話したという女性。事件の前兆はなかったのかと問いただしたが、母親は「分からなかった」と答えたという。

弁護人「私は竜太君のお母さんの過剰な期待の影響だと思いました」

「私としては竜太君を救ってあげられなかったことに悔しさで一杯です」

 女性の後悔の言葉が読み上げられても、山本被告は表情一つ変えないまま座っていた。

 続いて、山本被告の母親の供述調書の読み上げが始まった。一番身近に接していた母親の目に、山本被告はどう映っていたのか。

 調書には、母親が見た山本被告の性格や生活状況について、率直な言葉でつづられていた。

弁護人「事件は口では言い表せないほどのショックでした。高窪先生には竜太のしでかしたことで取り返しのつかないことをしてしまいました」

 謝罪の言葉を述べた後、山本被告の生い立ちについて触れていく。

弁護人「結婚2年目で(山本被告が)生まれ、地にしっかりと足をつけ、竜のように天高くのぼっていくようにという意味で竜太と名付けました」

「世界で一番幸せになってもらおうと、辛いことや嫌なことは絶対に遭わせないようにしようと考えました」

 子供時代はやんちゃだったこと、小学校3年で転校し、いじめにあったことなどが読み上げられていく。

弁護人「いじめはしばらく続いていました。当時私は働いていたので、私の知らない間にお行儀の悪い子につき合わせたくないと考えました。小学校の同級生と遊ばせないようにしました」

 学校の同級生と遊ばせない一方、山本被告が通っていたバイオリン教室やピアノ教室の子供たちとは遊んでいたという。母親はそのおかげで、おっとりしておとなしいいい子に育ったと振り返る。

 その後、地元の公立中学校には不良がいたため、私立中学校を受験したが不合格。結局、地元の中学校に通った。中学校でもあまり友人はいなかったようだ。

 都立高校に進んだ後、指定校推薦で中央大への入学が決まる。

弁護人「私は文系のほうがいいのではといったが、竜太は『僕は理系だ』といって自分で決めました。うれしそうにしていたのを覚えています」

 しかし、それも長くは続かなかった。

弁護人「入学してしばらくして、『授業が難しくてついて行けない』『辞めたい』とこぼすようになりました。ほかの大学に入り直したら、と勧めても『高校に迷惑がかかるからやめられない』と言い張っていました」

 山本被告は1年生のとき、親に内証でほかの大学を受験。母親もこれに気づき、本人には明かさないまま、こっそり合格発表を見に行った。だが、結果は不合格だった。

 そのまま中央大に在籍した山本被告。2年生のときには朝6時に学校に向かい、午後11時に帰ってくる生活だったという。家では毎日張りつめたような空気が広がり、親子の会話は徐々になくなった。さらに山本被告の奇行が目立つようになっていく。

弁護人「大学5年生の、ちょうど高窪先生の研究室に入ったころからおかしいと感じるようになりました。突然『絶対に卒業しなくちゃいけない』と話すようになったり、壁をげんこつでたたいたりするようになったんです」

「ガスのメーターを調べる業者の人が来たときも、竜太は『今の誰? 盗聴器を仕掛けたんじゃないの』と話すようになっていました。勉強のせいでおかしくなったのではないかと考えていました」

 母親は山本被告を病院に連れて行くことも考えたが、連れて行けば自殺するのではないかと考え、できなかったという。

 リラックスさせるために、母親と2人で長野に旅行したが、ここでも山本被告は思い悩んだ様子だったという。

 しかし、平成16年の初めごろのある日、山本被告は突然、卒業と就職のメドが立ったことを母親に告げてきたという。実際に卒業し、食品メーカーに就職を果たした山本被告だったが、結局その仕事もすぐに辞めたいとこぼすようになった。

弁護人「それからは、仕事を自分で見つけてきても辞めてしまうことの繰り返しでした」

「竜太のおかしな行動がエスカレートしたことも事実でした。ほおやひじから手首あたりまで切ったような長い傷があったときもありました。精神的なプレッシャーがあったんだと思います」

「平成17年夏ごろには突然、『盗聴器って知っている?』と聞いてきたり、18年夏ごろには『向かいの住民が僕を避けている』と言いだしました。『そんなことない』といっても、竜太は聞きませんでした」

 19年夏には、山本被告は会社のグアム旅行で「どうせやめさせるなら、最初から雇わないでほしい」といって暴れたという。母親が会社におわびの電話を入れたが、その電話で解雇を告げられたという。

弁護人「19年夏に、竜太は独り立ちしたいと言って、神奈川県平塚市の親戚(しんせき)の家で生活すると言ってきました。私は嫌だったのですが、すでにアルバイト先も見つけており、しようがなく認めました」

「離れて暮らすと、竜太からも電話がかかるようになって特におかしなことを言わなくなりました。だいぶよくなっているのだなと感じました」

 事件が起きた昨年1月の前後も、母親は変わった点には気が付かなかったという。ただ、ひとつ気になることを山本被告は母親に言い残していたという。

弁護人「事件後に、竜太からは『大学から連絡があったら教えて』といわれていました」

 母親は5月に警察から、山本被告が高窪さん殺害の疑いをかけられていることを知らされ、頭が真っ白になり、倒れそうになったという。

 女性弁護士が調書の読み上げを終えると、今崎幸彦裁判長がこの日の証拠調べが終わったことを確認した。

裁判長「ここで休廷を挟みます。再開は(午後3時)35分からです」

 午後3時7分、裁判長がそう宣告すると、裁判員らは少し疲れた表情を浮かべ、退廷していった。

 山本被告は男性弁護士から話しかけられ、何度か小さくうなずいた後、静かに立ち上がって法廷を後にした。

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