第2回公判(2010.11.26)

 

(5)テロまで計画、「爆弾の作り方調べた」…犯行後は「刑事さんがきたときほっとした」

高窪教授

 休憩をはさみ、裁判員6人が入廷したことを確認すると、午後1時15分、今崎幸彦裁判長が開廷を告げた。殺人罪に問われた中央大学卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告(29)は、すでに被告人席に座っている。今日はグレーのトレーナー姿だ。

 午前中に引き続き、検察側が提出した証拠の取り調べが始まった。山本被告が中央大学理工学部教授の高窪統(はじめ)さん=当時(45)=を刺殺する前後の状況について説明したという調書を、女性検察官が読み上げる。

検察官「(平成20年)5月に高窪教授を殺すと決めてからは、周囲の人に変なことをいわれたりすることは減りました。10月以降はいわれた記憶はありません」

 山本被告は取り調べに、「大学や電車内などで突然、見知らぬ人が『教授が(山本被告を)いじめるなんてあり得ない』『教授が勝ち』などと話しているのを聞くようになった」と説明。こうした不自然な出来事が続いたため、「高窪教授が嫌がらせをしているんじゃないか」と不信感を募らせていったという。

検察官「高窪教授を殺せば、教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました。捕まれば死刑になるかもしれないと思い、怖かったです。でもどうしても、私への嫌がらせをやめてほしかったのです」

 一連の出来事を「高窪教授が関係する嫌がらせ」と判断し、20年春ごろには殺害を決意したという。山本被告がそのときの心情を、たとえ話で説明したという調書も読み上げられた。

検察官「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として(殺害を)やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」

「嫌がらせを受けるために生まれてきたんじゃないんです。私がどれだけ嫌な思いをしているか、知ってほしかったんです」

 高窪さんを殺害した後も、周囲の“異変”は減ったものの、続いたという。

検察官「事件前から、月曜日はテレビを見ない(同居している)おじは、事件後も月曜日にテレビを見ないままでした。どうして変なことがなくならないのでしょうか」

 山本被告は事件後、「首謀者は高窪教授以外にいるのではないか」という悩みにさいなまれたという。

検察官「私は事件後、ずっと考えていました。また、事件後はすぐに捕まると思っていました。私の生活は高窪教授に盗聴されていたのですから。なんで私を泳がせているのか分かりませんでした」

「首謀者は高窪教授以外にいて、嫌がらせを続けているのかと思いました。場合によっては、その人も殺さねばならないのか、と考えていました」

 ここで、法廷内の大型モニターに小型ノートが映し出された。山本被告の書いたメモだという。ノートにはきちょうめんな文字で、「目的は何か? 個人か? 複数か?」と書き込まれている。高窪さん殺害後も続く異変に、山本被告がとまどっていた様子が浮かび上がる。さらに、別のページには「今は実行するときではない」という記述もあった。女性検察官が、メモの内容について山本被告が説明した調書を読み上げる。

検察官「実行とは騒ぎを起こすことです」

 自分への嫌がらせの首謀者が誰なのか分からず、混乱していた山本被告は、何らかの騒ぎを起こすことで首謀者をあぶり出そうとしたという。

検察官「しかし、司法書士を目指そうとしていたときだったのでやめました」

 モニターに別のメモが映し出された。これは、先ほどのメモよりもさらに小さいもののようだ。中には、「Aするしかないのではないか」という記述が見られる。

検察官「Aというのは、恥ずかしいですがテロのことです」

 テロも、首謀者を探すための手段として山本被告が考えたもののようだ。さらに、驚くべき調書の内容が明らかにされた。

検察官「爆弾はインターネットで作り方を調べました」

 女性検察官が読み上げた「爆弾」という単語が法廷に重々しく響き渡った。

検察官「なぜ私を泳がせているのかと思いました。だから、刑事さんが(自宅に)来たときは本当にほっとしました。今も、なぜ刑事さんが来るのがこんなに遅かったのかと、ひっかかっています」

「私は真実を知りたいのです。首謀者は本当に高窪教授だったのか。一体誰が何のために(嫌がらせを)したのか分からないと、高窪教授を殺したことが正しかったのか、間違っていたのか分かりません」

 調書の末尾は、「刑事さん、検事さんにはぜひ明らかにしてほしい」という言葉で結ばれていた。

 ここで、検察側が提出した証拠調べが終了し、弁護側が提出した証拠の説明が始まった。男性弁護人がまず取り上げたのは、山本被告の供述調書だ。事件の約2週間前にあたる21年の正月に母親にあてて書いた手紙の内容について説明したものだという。

 法廷内のモニターには、手紙が表示された。ここにもメモ同様、きちょうめんな文字が並んでいる。山本被告は「高窪教授を殺害する際、自分が高窪教授に殺されたり、逮捕されたときのために母にあてて書いた」と説明したという。弁護人が手紙を読み上げた。

弁護人「お母さんへ。今、どのような気持ちでお読みでしょうか。どうしても耐えられませんでした。ごめんなさい。でもこうするしかないと思ったのです。どうしても嫌がらせが、教育のため、指導のためとは思えなかったのです。なぜ嫌がらせをするのか分からなかったのです」

「一日も早く、企業で正社員として働きたいと思っていました。嫌がらせをやめてもらえない限り、落ち着いて仕事をすることもできなかったのです。相手(自分)がどれだけ迷惑しているか、傷ついているか分かってもらうためには、行動するしかない」

 手紙の読み上げはさらに続く。

弁護人「ウサギも追いつめられれば、ライオンにかみつくこともあるといいます。弱者も強者に立ち向かっていかねば、この世の中を生きていかれないのかもしれませんね」

「死刑になるのは怖いです。でも行動しなければ、何も変わらないと思いました。お母さんには迷惑かけてばかりで何もできなくてごめんなさい。今までありがとうございました」

 続いて、高窪さんの研究室に所属していた男性の調書が読み上げられた。男性は山本被告と同じく、11年4月に中央大に入学。1年次は同じクラスだったという。

弁護人「山本君はまじめな印象で、教室でも一人でいることが多かったです。同級生にも敬語で話しかけ、いいところのお坊ちゃんという感じでした。一度、帰り際に『今日は話せて楽しかったです、ありがとうございました』と言われたのは印象的でした。希望に満ちた、ごくごく普通の大学1年生でした」

 しかし、留年し、男性の1年後に高窪さんの研究室に入ってきた山本被告は、印象が大きく変わっていたという。

弁護人「以前と違い、表情が硬く、無口で重苦しい雰囲気でした。高窪研究室で何かを学び取らねばならない、という強い決意を感じました。優秀な学部生というわけではなかったですが、食事も取らずに黙々と研究に打ち込んでいました」

 一方、男性は山本被告が何か深く思い詰めているような姿も見たという。高窪さんは、そんな山本被告を気に掛けていた、とも男性は証言していた。

弁護人「高窪教授は山本君のことを気に掛け、『彼はまじめでよい子なんです』と言っていました。高窪教授は『実は、山本君の親御さんともコンタクトを取っているんです』とも言っていました」

 被告人席の山本被告は、前を向いたまま時折、瞬きを繰り返すだけで、表情を変えることはなかった。

⇒(6)「教授が家庭の事情を知りすぎている」「盗聴されている」…友人にぶちまけた疑念