第2回公判(2010.11.26)

 

(2)「やらなかったらやられる」「精神的方法で人生を壊そうと」…殺害決意の理由に法廷は重苦しく

献花台

 殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告(29)の供述調書を、女性検察官が読み上げる。山本被告は捜査を担当した検察官の聴取に、刺殺した中央大学理工学部教授の高窪統(はじめ)さん=当時(45)=に不信感を募らせていった経緯を説明したという。

 山本被告は大学5年で、高窪さんの研究室に所属。発表などの際に緊張してしまうことを高窪さんに相談したところ、「自分も講義の時は緊張している」と打ち明けられ、「このことは誰にも言わないで」とも頼まれたという。しかし、山本被告は知人の帝京大学教授にこの話をしてしまう。その後、研究室へ行くと「裏切った」と話している声が聞こえてきたという。

検察官「なぜみんなが、私が帝京大の教授に高窪教授のことを話したことを知っているのか、と思いました。研究室の人たちに盗聴されているのかと思いました。これまでも、歩いているときに人から『ありえない』といわれたことがありましたが、あれもやっぱり幻聴なんかじゃなかったんだと思いました」

 「盗聴されている」という疑念を深めていった山本被告。さらに、「決定的な出来事」として、研究室の「お別れ会」を挙げたという。

検察官「お別れ会では、有名企業に決まった人たちが仕事などについて話していて、高窪教授も加わっていました。私も内定はもらっていましたが、大学の専門と関係のない食品会社で、私だけ仲間はずれにされた感じがしました。高窪教授はほとんど話しかけてくれず、寂しかったです」

 この時、近くのテーブルにいた中年の男性が「高窪教授の足元にも及ばない」と、山本被告に向かって話しかける声が聞こえたという。

 さらに、お別れ会の翌日、山本被告は食中毒による激しい下痢と吐き気に襲われた。この日は卒業アルバムに載せる研究室の記念写真を撮影する予定だったが、参加を断念。その翌日には研究室へ行ったが、高窪教授に体調について何も聞かれず、不自然に感じたという。

検察官「この一件で、研究室全体に対する不信感が高まりました。研究室全体が私を陥れて、食中毒にさせたんじゃないかと思いました。高窪教授が裏で糸を引いているかは分からないが、無関係ではあり得ないと思いました」

 この後、大学構内を歩いているときや電車内で、周囲の人が「教授がいじめるなんてあり得ない」「教授が勝ち」と言っている声を聞くようになったという。山本被告はこうした出来事が続いたため、「高窪教授が嫌がらせをしているんじゃないか」と考えるようになっていった。

 山本被告は平成16年3月に大学を卒業した後、同年4月に大手食品メーカーに入社。ここでも、不思議な出来事があったという。

検察官「研修のボウリング大会で、スコアボードに自分の名前をもじって『リュウチャン』と書きました。その後、(埼玉県)狭山(市)の寮に入りましたが、近所の5、6歳の男の子に突然、『リュウチャン』と言われました。また、隣の部屋から『何で間違っている』と怒っているような声が聞こえることが、何度もありました」

 結局、山本被告は「気持ち悪いことが多く、こんな会社にはいられない」と考え、入社からわずか1カ月程度で食品メーカーを退社する。同年5月には、退社の報告をするために高窪教授を研究室に訪ねたが、希望通りの対応をしてもらえず、落胆したという。

検察官「何かアドバイスをくれるかと思っていましたが、高窪教授は『そうですか、やめたんですか。仕事が難しかったんですか』というくらいしか言ってくれませんでした」

 17年1月には、電子機器関連の会社に入社。しかし、ここは3カ月の試用期間で解雇されてしまう。能力不足などが理由だったという。「大学で習う知識だけでは、会社で通用しない」と考えた山本被告は、同年夏、再び高窪さんを訪ねる。

検察官「それとなく高窪教授に、大学院へ行きたいという気持ちを伝えたかったのですが、『大学院には行かせられない』というようなことを言われました。また、このときにちょうど政治家が自殺したニュースをやっていて『こういう人でも死ぬんですか』と話しかけると、高窪教授は『難しいですね』と言った後、『怖い』と続けました。この話題をした私が怖い、という意味だと感じました」

 また、山本被告は実家周辺でも“異変”を感じていたという。この当時、山本被告は実家で家族と同居していたが、向かいの建物の2階シャッターが何日も閉まったままになっているなど不自然さを感じた、と調書の中で説明している。そして、これらの出来事から山本被告が連想したのは、大学時代の研究室だった。

検察官「何で自分だけがこんな目に遭わなければならないのかと、苦しくて苦しくてしょうがなかった、どうやったらここから抜け出せるのかと考えると、いつも思い浮かぶのは高窪研究室でした。中でも高窪教授のことは、切っても切り離せませんでした。やっぱり、高窪教授が私に危害を加えようとしているとしか思えませんでした」

 刃物で腕や顔を傷つける自傷行為や、ノートに思いを書きつづるなどして気持ちを紛らわせようとしていたという山本被告。しかし、ホームセンターやパン工場のアルバイトも一定期間続いていた20年2月、自身の生活を見つめ直そうとしたとき、「これまで起きてきた変な出来事を自力で解決するしかない。そのためには行動するしかない。高窪教授を殺害するしかない」という思いが去来したという。ここで女性検察官は、取り調べ担当の検事と山本被告のやり取りを、会話形式で紹介した。

  検事「高窪教授を殺害すれば、どうなると思ったのか」

  山本被告「自分の周りで起きているおかしなことが終わるかもしれないと思いました」

  検事「それはどうして?」

  山本被告「殺せば、高窪教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました」

  検事「それはどういう意味?」

  山本被告「高窪教授を殺して、おかしなことがやめば、高窪教授が裏で糸を引いているということが分かると思いました」

  検事「人を殺すことは悪いことだと知っていましたか」

  山本被告「何もしていない人を殺すのは、当然悪いことだと分かっていました。ただ、相手がこちらの人生を奪ったり、殺そうとしているなら、むしろ殺さなければいけないと思いました。やらなければやられるんです」

 さらに山本被告は、こう続けたという。女性検察官が読み上げた。

検察官「高窪教授が私を殺そうとしているとは思っていませんでした。物理的な方法ではなく、精神的な方法で私の人生を壊そうとしていると思いました。殺すのは仕方ないと思っていました」

 一方で、山本被告は「ただ、人を殺すために大学を卒業したのではない、と何度も自分に言い聞かせました」とためらいがあったことも明かしたという。そして、ついには高窪教授の殺害を決意する。

検察官「最終的に殺そうと決意したのは、(20年)5月ごろです。具体的に何かあったわけではありません。アルバイトをしていたところから正社員にならないかと声をかけられましたが、このままでは自分の周りに起きている出来事に耐えられず、会社に迷惑をかけてしまうと思いました」

 「いつまでもこんな生活をしていちゃいけない、と思いました。そのためには、今のままでいるわけにはいかない。高窪教授を殺すことで、自分自身で解決するしかないって思ったんです」

 検察官が一気に読み上げると、法廷には重苦しい雰囲気が漂った。被告人席の山本被告は、数秒間目を閉じたが、その後、再び検察官を見つめた。

⇒(3)「神風特攻隊の心境」「ついにきた」…犯行直前に高揚する被告