(10)「輝いていたリンゼイではなかった」 霊安室で対面した父の思いは…
英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は、被告人質問が終了し、約15分間の休憩を挟んで再開した。
堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、市橋被告が法廷に入った。これまで同様、先に法廷に入り、検察官の後ろの席に着いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母のジュリアさんに一礼するが、正面に立つ刑務官の陰になって夫妻からは姿が見えない。
裁判長「それでは再開します」
堀田裁判長に促されて、若い男性検察官が証拠として採用された供述調書を読み上げていく。まずはリンゼイさんの死亡が確認された平成19年3月26日の数日後に作成されたウィリアムさんの調書だ。
検察官「リンゼイには3歳上の姉と1歳下の妹がおり、私たち家族はとても仲がよく、深い絆で結ばれていましたが、これが永遠に消え去ってしまいました」
ウィリアムさんは事件以来、ジュリアさんと捜査の進展を訴えるために何度も来日。市橋被告の顔写真がプリントされたTシャツを着て情報提供を呼び掛け続けた。
今回の公判でも被害者参加人として初公判から参加。「殺意はなかった」と述べる市橋被告の言葉を通訳を介して聞くと、目を見開いて信じられないといった様子を見せるなど、被告への怒りをにじませてきた。
検察官「リンゼイはわれわれにとって特別な存在でした。リンゼイは誰よりも早く読み書きを覚え、級友を助けてきました。中学の先生からは『リンゼイには何も教えることはない。進学校に進むべきだ』と言われました」
リンゼイさんは街でも有名な進学校に進学したという。
検察官「リンゼイは人を助けるすばらしい素質があり、それについて、2つの思い出があります。ひとつは大学生に入ったころのことでした」
供述調書によると、リンゼイさんがウィリアムさんらと街の中心を歩いていたとき、一人のホームレス男性が「お茶代をほしい」と言ってきたという。リンゼイさんが「サンドイッチでも買って」と多めの小銭を男性に渡したことにウィリアムさんは「こんなために私はカネを稼いでいるのではない」とたしなめた。
検察官「するとリンゼイは『あの人は私のようにすばらしい機会に恵まれなかっただけです』と言いました」
「私たちは娘たちの教育にお金を費やし、娘たちは優秀な成績を収めた。親がよりよい教育を与えてきたことを感謝していたからこそ、『私のようなすばらしい機会』と表現したのです。リンゼイは常に感謝の念で接し、人を助けることに情熱を傾けてきました」
ウィリアムさんは供述調書の中で、2つ目のエピソードとしてリンゼイさんが重度の身体障害を持つ子供たちに水泳を教えていた当時を振り返った。
検察官「リンゼイは手足が不自由な子供たちを支えるために常に水に入ったままで、家に帰ってくると、手足が(水でふやけて)真っ白になっていました」
読み上げられる自分の供述調書の内容を聞いて、ウィリアムさんは、涙をこらえるようにどんどん顔を赤らめていった。
検察官「リンゼイは短い生涯の中で、人を助けることに最大の情熱を傾けてきました。当初は医師を目指し、日本を経験した後は、子供たちに科学を教えることを目指していました」
「日本を愛し、日本の社会を愛し、日本の社会にとけ込もうと、日々努力していました。日本を目指したのは、日本人の高潔さに共鳴したことに加え、日本が安全なことも一つの理由でした」
だが、ウィリアムさんら家族は、まな娘が遠く離れた異国にいることに寂しさと不安を募らせていたという。夫妻が1週間ほど日本に滞在した機会にリンゼイさんは近所の交番を案内したという。
検察官「リンゼイは『ここはロンドンよりも安全よ』と言いました。娘は英語で話しかける人に英語で答えたり、近所の人たちに『おはようございます』と声をかけたりしていました。生き生きとして安全に暮らす姿を見て安心し、リンゼイを誇りにも思いました」
「これほど信頼していた日本で命を落とすとは思いもよりませんでした」
事件に遭う前の19年3月11日のウィリアムさんの誕生日にもリンゼイさんは、プレゼントを送ってきたという。
検察官「プレゼントは、いましているこのベルトと日本のはしでした」
殺害された直前に送ったのか、リンゼイさんが亡くなった後の4月にもウィリアムさん夫妻の記念日に合わせ、別のプレゼントが届いた。
検察官「4月に届いたプレゼントは包みも開けていないんです」
「『お父さん、愛している。お母さん、愛している。お姉さん、愛している。妹、愛している』と電話がありました。これが娘が生きていた最後のメッセージでした」
「イギリスの警察を通じ、娘が事件の犠牲になったと伝えられました。霊安室で会ったリンゼイは、私たちが知っている、美しい、輝いていたリンゼイではありませんでした」
ウィリアムさんはしきりにハンカチで涙をぬぐっている。目は真っ赤に充血している。隣のジュリアさんも涙が止まらずに目をハンカチで押さえ続けている。
検察官「私たちは深い絶望に突き落とされました。深い喪失感が体を貫きました。夢があり、多くの人を助けてきた娘を失ったことから立ち直ることはできません。私たちにとって娘は『命』そのものでした」
検察官は続いて市橋被告が死体遺棄罪で起訴された後のウィリアムさんの「厳しい処罰を望む」との供述調書も読み上げた。
続けてウィリアムさんが市橋被告の逮捕後、検察官の調べに応じるために来日した際に持ってきたという生前のリンゼイさんの写真が、次々と法廷内の大型モニターに映し出されていった。
生後7カ月のものから姉妹で撮影したものも。どの写真でもリンゼイさんはカメラに笑顔を向けていた。