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最終弁論(2)「被告は心神喪失。鑑定しなかった裁判所は不適切」

 (9)しかし、そうではあるものの、平成19年7月16日以降、被告人の精神状態は、保育園に、長女を自分か夫以外に渡さないよう要請したり、防犯カメラをつけようとするなど、被害者の襲来に怯えるものであったことは疑いようがない。

 (10)このような、被害観念が存在し、これに基づいて、社会的不適合を起こした場合、妄想型統合失調症、妄想性障害、精神病性の特徴をともなううつ病のいずれかの精神疾患が強く疑われるものである。

 (11)検察官は被告人の犯行前後の行動の合理性(鍵をしめる、メールを送るなど)について指摘するが、それらは上記の精神疾患にあっては、「通常、神経心理学的、あるいは他の認知検査で、障害はほとんどまたはまったくない」とされているのであり、検察官指摘の事実があったとしても、責任能力への疑いは全く払拭されない。

 (12)大阪高裁平成4年10月29日判決は、被告人は殺人被告事件で犯行当時妄想性障害による心神耗弱状態にあったにとどまるとして限定責任能力を認めた原判決を破棄し、妄想型の精神分裂症の影響により心神喪失の状態にあったとして無罪が言い渡された事例だが、「被告人は犯行の前日まで一応曲がりなりにも店で働き続けていたもので、職業的な機能の著しい低下が認められていないし、周囲の人との関係でも、それほど大きく逸脱する不合理な行動に出ることもなかった。しかし、J鑑定によれば、それは、被告人が精神分裂病者であったといっても、一般に人格障害の少ない妄想型であり、しかも高齢発病であるため、感状や意欲などの人格面での障害が日常生活ではあまり認められないタイプであったことによるというのである。このように被告人の社会生活における適応の水準が一見して正常な状態にあったことや、被告人は刃物で妻を刺した後、妻の叫び声が娘に聞こえないようにとその首を絞めるなどして周囲に気を使ったかのような行為に出ていること、殺害後すぐに110番して自己の犯行を冷静に申告し、警察の逮捕にも素直に応じていることなどの事情を考慮しても、被告人に犯行当時反対動機の形成が可能であったと判断することはできないし、その時点での是非善悪の認識能力やその認識に従う能力を肯定できるわけでもない。以上の次第で、犯行当時被告人は妄想型の精神分裂病の影響によって物事の是非善悪を弁別する能力及びこれに従って行動する能力を欠いて心神喪失の状態にあったと認めるのが相当である」と判示している。

 (13)このことからも、被告人について疑われる前述の精神疾患に関しては、被告人が、道具を選んだり、車を運転して帰るなど検察官の指摘するような行動をとっていたとしても、精神疾患及びその影響による弁識能力・制御能力の欠如の疑いが払拭されるものでは、全くないということは明らかである。

 (14)なお精神科への通院歴がないことは、完全責任能力を認める根拠になるものではない。これは、例えばガンの患者が病院に行かないまま死亡した場合、通院歴がないからガンではなかったということにはならないのと同じであって、被告人においても、適切な通院をして治療を受けていれば、このような事態は避けられたかもしれない。

 (15)以上により、本件で被告人には、行為時において精神疾患を発症しており、その影響により、行動の事理を弁識し、これにしたがって行動を制御する能力を欠いていたというべきであるから、心神喪失であると思料する。

 (16)なお、裁判所において、鑑定請求を採用しなかったことは、あるいは裁判員制度を控えて審理促進が叫ばれている昨今の情勢に沿うものであるかもしれないが、適切とは思われないので付言する。

⇒最終弁論(3)「被告は『嫁だから』と耐えたのだ」