その後(2010.11.24)

 

羽賀研二裁判で「偽証罪」に問われた元歯科医が初めて語る 大阪地検の“証人いじめ”

羽賀被告

 村木事件で判明した「傲慢さ」は、どうやら検察に蔓延する“ビョーキ”らしい──。詐欺罪などに問われた羽賀研二被告(49)の裁判に出廷し、無罪判決を導き出す「核心証言」を行った証人が、今では検察から偽証罪で追及されている。だが、偽証と糾弾された“内容の瑣末さ”を知ると、これが検察による“報復”にも映る。

 昨年1月14日。朝8時ごろに、東京都内にあるアパートの戸が、けたたましく叩かれた。重度の糖尿病によって失明している元歯科医の徳永数馬被告(49)はこの日、さらに肺炎にかかって床に伏していた。小学生の子ども4人のうち3人も肺炎に感染して寝ている最中だった。

 扉を開けた妻に呼ばれて徳永被告が出向くと、大阪地検の検事ら数人に「話を聞かせて」と詰め寄られた。検察とは羽賀被告の裁判の証人に立って以来、5カ月ぶりの“対面”だった。

 徳永被告が「体調が回復するまで待ってほしい」と懇願するのを、検事らは「わざわざ大阪から来たんだから」と譲らなかった。渋々と玄関で話す支度をすると、「いやいや離れた場所で頼みます」と慇懃に言われ、3人がかりで腰や手をつかまれて引きずり出され、そのまま車で東京・霞が関の東京地検へと連れていかれた──。

 徳永被告は2008年8月、詐欺罪などに問われている羽賀被告の一審公判に証人として出廷した。羽賀被告は1株40万円だった未公開株の取得価格を偽り、1株120万円で会社社長に売却し、3億7千万円を詐取したとして起訴された。自らも同株を羽賀被告からすすめられていた徳永被告は、「(この会社)社長に『40万円の株を120万円で買って儲かるのか』と聞くと、社長は『上場したら損はない。何十倍も儲かる』と話した」と証言。これを大阪地裁が「信用できる」と判断し、羽賀被告は無罪判決を受けた。現在、検察側が控訴し、高裁で審理中だ。

 徳永被告は以前は3軒の歯科医院を営み、格闘家のマウスピースも作っていた。格闘界との人脈をツテに、羽賀被告が詐欺罪に問われる“事件現場”となった東京・白金のカフェにもよく行っていた。羽賀被告とは互いに常連客同士で、会えば言葉を交わし、同席して時計や車をすすめられて買ったこともあったという。

 だが、裕福な暮らしは、07年に失明して一転した。職を失い、現在は生活保護によって家族の慎ましい暮らしを賄っている。普段は妻に手を引かれて外出するのだが、冒頭のとおり、大阪地検は徳永被告ひとりを半ば強引に連行した。

 東京地検の調べ室で、40代の検事と向き合った。徳永被告がこう振り返る。

「そこで初めて『お前、偽証したやろ!』と怒鳴られ、自分が容疑者になったと知った。でも、自分の経歴をネチネチと聞かれるだけ。目が見えなくなって以来、細かい年月を思い出すのが難しいので、羽賀の裁判での証言のどこが偽証なのかと聞いても『そんなことはどうでもいい』と言われた」

 検事は徳永被告にこうも迫ってきたという。

「あなたには可愛い子どもと奥さんがいるじゃないですか。一度っきりの人生で、家族を取るのか、羽賀を取るのか、今が考えどきですよ。わかるでしょう?」

 取り調べ開始から、1時間もしないうちに徳永被告は吐血した。地検内の救護室から救急車で病院に運ばれた。肺炎で体調が悪いうえに血圧が急速に上がって危険な状態だったと診断された。自宅に戻れたのは、夕方だったという。

 この日の朝、徳永被告が連れ去られて間もなく、自宅アパートは家宅捜索を受けた。妻がこう振り返る。

「主人を連れ出す際は何も言わなかったのに、直後に令状を見せられて『ダンナがウソを言ってるのをアンタも知ってるはずや』と言われた。夫や羽賀被告の弁護士に連絡を取ろうとしたら、『あなたには誰にも電話する権利がない』と言われた。『現状を伝えるだけでも』と30分ほど口論したけど、結局ダメでした」

 家宅捜索の立会人に電話を禁じることが、過去の判例でも違法だと断じられていることを、大阪地検はご存じないようだ。

 家宅捜索の途中、羽賀被告の弁護士のほうから事務官の携帯に連絡が入り、代わった電話で「電話は禁じられない」と知らされた。そのことを事務官に抗議すると、あっけらかんと「この携帯を使ったらダメと言っただけ」と話したという。

「ガックリと力が抜けた。てっきり検察は“正義の味方”と思っていたのに、自分の都合でウソまでつくのかと悲しくなりました」

 事務官の携帯の向こうから発破をかける声が妻にも聞こえた。検事が「現金があるはずだから探せ!」と繰り返し命じていたが、自宅には受け取って間もない生活保護の残りが数万円ある程度だった。事務官らは子どもの習字箱の中など隅々まで調べ、子どもたちが泣き叫ぶ面前で長男らの携帯も押収していったという。

●経歴と親密度が偽証に問われた

 徳永被告の事情聴取はその後も2日間にわたって行われたが、やはり「証言」の問題の部分は聞かずじまい。徳永被告の経歴ばかりがやり玉に挙がっていた。

「パソコンを打つ事務官が間違えると、取り調べ検事が『てめぇ、なんで漢字がわかんねぇんだよ』と事務官を怒鳴り散らす。こちらが制するほど荒っぽい人たちだった。このときは妻も同伴していて、子どもたちが学校から帰る午後3時までに帰宅する約束だったのに、夕方まで拘束された揚げ句、『子どもなんかどうでもいい』とも言われた。冬にもかかわらず鍵を持っていない子どもたちは、ずっと外に閉め出されていました」(徳永被告)

 徳永被告は「偽証罪」で在宅起訴されたが、公判で争われたのは主に次の2点だ。

 一点は、歯科診療所の開設や引っ越しの時期など、一部経歴が間違っていたこと。もう一点は、問題のカフェ以外で羽賀被告と会ったことがないと証言したのに、実際にはカフェ以外でも何度か会っていたことで、徳永被告側はいずれも「記憶違いだった」などの理由で認めている。

 検察は懲役2年を求刑し、弁護側は無罪を主張した。

 弁護人を務める伊藤芳朗弁護士は、こう述べる。

「証言が事実と食い違っていたのは確かだが、羽賀裁判で『被害者が株の原価を知っていた』との証言の本質を考えれば、食い違った証言部分はどれも枝葉に過ぎない。徳永氏に偽証の意図はなく、検察に不利な証言をした証人が“報復”のように偽証罪に問われると、刑事裁判の証人に対する萎縮効果を生みかねない」

 大阪地検に事実確認を求めると、

「取材には応じかねます」

 とのいつもの回答のみ。

 徳永被告はこう言う。

「あまり熱心な打ち合わせもせず、誤った証言をしたのは迂闊でした。でも、羽賀にお金をもらったわけでもないし、彼を無罪にしたい気持ちがあるわけでもない。ただ、事故のように関連する出来事を目撃したから、それを正直に話そうと思っただけ。証言に食い違いがあったなら、直接、聞いてくれればいいのに。検察に盾突いてこんな目に遭うくらいなら、証言なんかしなければよかった」

 検察のメンツをかけた捜査も裁判も税金の無駄遣いで、「横暴さ」の何よりもの証し。判決は11月25日だが、むなしい限りだ。(本誌・藤田知也)

⇒羽賀研二被告、無罪から一転窮地に 通話100回“生涯の友”、偽証で有罪