「殺人は無罪。妄想が行動させたのだ」
事件を理解する重要なポイントは2点あります。
1つは、「歌織被告は祐輔さんとの生活から逃げたかっただけ」ということ。もう1つは、「事件のあった日に突然、病気が発症した」ということです。
【祐輔さんとの生活から逃れたかったことについて】
歌織被告は結婚直後から、祐輔さんによるDVを受けており、これは事件直前まで続いていました。
歌織被告はずっと逃げたいと思っていました。
しかし逃げられなかった。
平成17年6月、祐輔さんのDVでシェルターに入った以後も、暴力を受けていたことは歌織被告の手帳や写真、知人の供述などから裏付けられています。またそれ以降、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状も出ていました。
肉体的な暴力は、程度が小さくなったときもあったが、PTSDを発症していた歌織被告にとっては、恐怖感は同じものでした。
「逃げることは可能だったのではないか」と考えることは簡単ですが、それはDVを理解していない言葉です。
DVの被害者が逃げられない理由は、行き場がない▽経済的な問題▽逃げても連れ戻される−など色々な要因があります。
祐輔さんからの肉体的な暴力は▽殴る蹴る▽髪の毛をひっぱられる▽縛られる−など激しいものでした。
しかし暴力は肉体的なものだけではありませんでした。
「逃げたら追い回す」と言われるなど、心理的な虐待もありました。働いてもすぐに辞めさせられる。知人や友人を使って囲い込まれていました。
父親との確執もあり、助けを求める場所がなく、逃げることができなかったのです。
歌織被告が考えていたのは、祐輔さんが離婚に応じない限り、逃げられないということでした。
だから祐輔さんと愛人の会話を録音したICレコーダーを突きつけて、離婚に応じさせようとしました。
【事件前、突然病気を発症したことについて】
検察側は、今回の事件をDV被害を受けた被告が、怒りや恨みを爆発させて殺害に及んだと指摘して、この行動は「了解可能」だと述べています。
しかし歌織被告は、決定的な浮気の証拠をつかんだのに、祐輔さんへの恐怖から突きつけることができませんでした。
つまり、この日、祐輔さんを殺さなくても、効果的に離婚する道が残されていたのです。
祐輔さんを殺そうと思えば、機会はいつでもありました。この日殺す理由はどこにもなかったのです。
裁判長は、被告人質問で「怖いという気持ちと、ワインボトルを振り下ろすという行動がつながっていないのは?」と歌織被告に問いかけました。
この疑問はもっともです。
この日、祐輔さんを殺害したことは、了解可能な範囲を超えています。
では、なぜ祐輔さんを殺したのでしょうか。
事件は、歌織被告が急激に精神障害を起こしたために、起きました。この経緯は鑑定人が詳細に述べています。
犯行時、歌織被告は幻覚を見て、意識混濁となり、そして夢の中にいるようで現実感を消失していたという精神状態でした。
頭部に傷が集中していることから、検察側は歌織被告の完全責任能力を指摘していますが、それは誤りです。
歌織被告は精神障害であり、目が見えないのではありません。自分がとっている行動を制御する能力に欠けていたということです。妄想により行われた行為で、責任能力はありません。
頭部に集中して攻撃していたからといって、精神障害がなかったとはいえません。いろんな幻覚が切り替わる中で、祐輔さんの姿を見ていたに過ぎません。
また遺体の損壊時や遺棄時に、祐輔さんと対話をしていたと供述していることからも、当時の精神障害が重度だったことを物語っています。
検察側は、歌織被告が犯行後に証拠隠滅のための道具を買ったり、偽装メールを送ったりしたことについて、合理的と指摘しますが、これは精神障害を持った者が社会に適合しようとする行為です。それぞれは突発的な行動で、事件を全体的にみると、何ら統一された行動ではありません。
歌織被告は血の付いたのこぎりや布団マットを実家に送っているが、梱包(こんぽう)を開けられないことはないと限りません。合理的とはいえず、犯行時に正常だったとは認定できません。
【脳の異常について】
最も特徴的なことは、歌織被告の脳の気質に異常がみられるという点です。鑑定人も、歌織被告の脳について、具体的な病名は挙げていませんが、何らかの異常があるとの疑いがあると指摘します。
鑑定人を務めた国立精神神経センター精神保健研究所の金吉晴・成人精神保健部長は、「逮捕直後に歌織被告の脳の検査をしていれば、より明確な異常が出たかもしれない」と証言しています。捜査機関の怠慢を歌織被告に科すことは許されません。
検察側は、鑑定時や公判時の歌織被告の供述を信用できないといいますが、歌織被告が述べたかったことは、祐輔さんから受けたDV、そして生活そのものだったのです。
もし歌織被告が罪を逃れるために嘘をつくなら、「誰かに命じられる声がした」と言えばいいはずです。「直前に暴力を受けた」と弁解すればいいのです。鑑定時や公判時にありのまま述べたことが真実なのです。
【結論】
最後に、「なぜ責任能力がなければ無罪になるのか?」を説明します。
法律は、人々が安心に暮らすためのルールです。そのルールに従える人にのみ、罪は科されるはずです。ルールを理解できない人に罰は科せません。
凶悪事件を起こした人が無罪になることについて、抵抗を感じるかもしれません。しかし、それは「無罪放免」ではなく、治療を受けることになります。
裁判員制度でも、一般の人がこうした判断をすることになります。
心神喪失の疑いが少しでもあるなら、無罪にすべきです。
遺族が厳罰を求めるのは当然のことです。
しかし、法は毅然(きぜん)として守らなければなりません。
弁護人は、歌織被告に無罪を求めます。
急激に精神障害を発症して起こした殺人については無罪。遺体の損壊・遺棄については、万が一わずかに責任能力が残っていたとしても、心神耗弱状態であり、刑を猶予して医療観察法の処遇を求めます。