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(5)「かつてのDV、過度に考慮すべきでない」

●2 鑑定の問題点(続き)

 さらに歌織被告は、当初、被告人質問でも幻覚や意識障害などの精神状態に関する話を供述しておらず、逆に、祐輔さんの頭の辺りをねらってワインボトルを振り下ろしたことなどを認める供述をしていました。

 この際、歌織被告は、裁判官から「ワインボトルを取り出して殴るまでの間、どんなことを考えていましたか」などと質問されると「これまでの祐輔さんの暴力や暴言が頭の中に思い浮かんできた」と供述するのみ。幻覚などの精神症状について何ら供述せず、さらに裁判官から、「それ以外に、犯行の直前に自分の頭に浮かんだことで、特に付け加えて裁判所に言っておきたいことはないですか」などと念押しまでされても、「ない」と供述していたのです。

 加えて、歌織被告は裁判官から、「祐輔さんが帰ってくるのを待っていた時間や祐輔さんが寝てしまった後の時間、どのような感情の中で過ごしましたか」「この法廷では、だれも別に筋をつけたりしないし、あなたが思うままに話せばいいですよ」などと言われてまで質問されても、「とにかく怖くて、部屋から見える真っ暗な代々木公園を見てて、もうこの世界に自分1人しかいないんじゃないかって思うぐらい、怖くて怖くて仕方なかった」「あの生活を終わらせたいというか、彼から逃げたいという、もう全部を終わらせたい気持ちだった」と供述するだけで、やはり、幻覚などの精神症状について何ら供述しなかったのです。

 このように歌織被告は、幼少時からを含め、犯行前後を通して、周囲の誰にも幻覚などの精神症状に関する話をしていなかった上、捜査段階や当初の被告人質問でも、さらには自分の弁護人に対してさえ、幻覚などの精神症状に関する供述を一切していなかったのです。

 犯行中に幻覚や意識障害があり、今まさにその犯行で罪に問われようとしている者が、自分に有利な事情となる幻覚や意識障害の存在を、被告人質問でも自分の弁護人に対してさえも供述しないということは考えられず、歌織被告が問診時で突如として幻覚などの供述を始めるに至った経緯は、極めて不自然です。

 次に、歌織被告の問診時の供述も日に日に具体化して、その内容を変遷させるなど極めて不自然というほかありません。

 関係証拠によれば、歌織被告は当初、問診で2人の鑑定人から「幻覚がなかったか」「覚えていないことはないか」などと執拗(しつよう)に質問されても、すぐには具体的にまとまった形で幻覚などの話を供述せず、断片的に供述していました。

 ところが、当初の被告人質問が終わった後の2月20日の問診になって突如として、まとまった形で供述し始めたのです。

 さらに、この2月20日の問診のときでさえも、歌織被告は鑑定人から、幻視の見え方について「それ以外に、チカチカと、光るものは見えませんでした?」「映像に、きらきら感は?」などの誘導的な質問が繰り返されても、「幻視が光っていたかどうか分からない」と供述。それなのに後日、2月25日付の手紙で、初めて「パッ、パッと光っては切り替わるという見え方だった」などと語るに至ったのです。このような供述の変遷は、詳細は割愛しますが、その他にも多数見られます。

 そして歌織被告は、両鑑定人から執拗に質問されたすべての異常な精神状態について、最終的には「それらすべてが存在した」と供述するに至っています。また、幻覚の内容は、いずれも歌織被告の体験や知識の範囲内にとどまっているのです。

 このようなことからすると、歌織被告が精神病や幻覚などについての知識を持ち合わせていないため、鑑定人の誘導的質問にヒントを得ながら、その場で自分の体験や知識に基づいたうその話を作成。その後も同様の誘導的な質問にヒントを得ながら、日に日に幻覚などの話を具体的な内容に作り上げていったものと強く推認されるのです。

 結局のところ、歌織被告は、両鑑定人との問診を重ねるうち、精神鑑定における自分の供述いかんによって自らの刑事責任に重大な影響が生じることを十分に意識し、精神鑑定により自分に不利益な結果を導かれないように思慮を巡らせ、その場その場で場当たり的な虚偽の供述を繰り返していることが明らかです。

(3) 問診時における歌織被告の供述から直ちに、精神症状を認定し、責任無能力と判断するのは誤りであること

 この点については、割愛します。

●3 結論

 以上のとおり、鑑定は犯行の動機や犯行の手段・態様などから認められる歌織被告の精神状態と明らかに矛盾。信用性の疑わしい問診時の供述に基づいているのです。さらに、病状についての認定にも誤りがあって、不当というほかなく、責任能力を判定する上で、何ら影響を与えるものではありません。

 従って、歌織被告には犯行当時、完全な責任能力が認められるのであって、弁護人の主張は何ら根拠はなく、失当です。

【歌織被告の情状】

 次に歌織被告の刑を決めるために考慮すべき事情について述べます。

●1 動機に酌むべき事情がないこと

 歌織被告は結婚後、祐輔さんとの間でけんかが絶えませんでした。そして祐輔さんから暴力を受け、シェルターに入ったことを契機に、祐輔さんに対する憎しみを募らせていました。

 その際、公正証書を作成することを条件に祐輔さんの元に戻りました。歌織被告はその後も、経済的に自分に有利な条件で離婚しようと画策していました。

 しかし、逆に祐輔さんから離婚を切り出されるようになり、祐輔さんの浮気の決定的な証拠をつかもうとして、祐輔さんとその交際相手の会話をボイスレコーダーで録音しました。そして、歌織被告はこれを祐輔さんに突きつけて、自分に有利に離婚の話し合いを進めようとしました。

 ところが、逆に祐輔さんから「おまえに渡すものは何もない。これはおれの家だ。出ていけ」などと言われてしまいました。

 自分の思い通りにことが運ばないいらだち、祐輔さんから過去に受けた暴力に対する怒り、自分のプライドを傷つけられた悔しさなどを抑えきれなくなり、憎しみを爆発させて祐輔さんを殺害しました。そして、自らの犯行を隠すために、遺体を損壊して遺棄したのです。

 歌織被告は、自分だけ惨めな思いをしたくないとの考えのもと、自分に有利な条件で離婚したいと画策したものの、結局、それがうまくいかなくなり、憎しみを爆発。結果、犯行に及んだもので、殺人の犯行動機は極めて短絡的です。そして遺体損壊・遺棄の動機もまた、歌織被告の身勝手で自己中心的な考えに基づくもので、酌むべき事情はありません。

 確かに歌織被告が祐輔さんからの暴力によりシェルターに入ったのは事実です。しかし、それ以降、1年半にわたって暴力を振るわれたという事実は認められませんし、祐輔さんの暴力が犯行の直接の契機となったということもありません。

 本件は歌織被告の自己中心的な考えによって行われた一連の犯行であり、夫からのDV被害にあっていた妻がやむにやまれぬ事情から夫を殺害したというような事案とは、明らかに異なっています。

 従って、祐輔さんの過去の暴力を歌織被告にとって過度に有利に考慮すべきではありません。

●2 犯行の態様は悪質で、その結果は重大、悲惨であること

 言うまでもなく、歌織被告の犯行により、祐輔さんが亡くなるという極めて重大で悲惨な結果が生じました。

 歌織被告は平成18年12月12日未明、自宅で寝ていた無防備な祐輔さんの頭をワインボトルで何度も強打しました。祐輔さんは頭に重篤な傷害を負い、おびただしい量の血を流してその場で亡くなりました。遺体の頭のけがは、受けた苦痛の大きさを雄弁に物語っています。

 祐輔さんは、自宅で寝ているときに妻の手で殺害されるとは思ってもいなかったはずです。30歳の若さで突然、その生涯を終えることになったその無念は、察するにあまりあります。

 そして歌織被告は、自ら殺害した祐輔さんの遺体を5つに切断し、上半身と下半身は12月の東京の寒空の下に放置しました。頭は町田の公園の冷たく暗い土の中に埋められ、両手はごみ捨て場に遺棄され発見されることはありませんでした。

 遺体を損壊して遺棄するという行為は、亡くなった方への冒涜(ぼうとく)以外のなにものでもなく、結果は重大で悲惨です。

⇒論告要旨(6)「自己弁護に責任転嫁…家族のきずな断ち切った」