(13)被告の母としての償い 涙ながらに「田舎の家も売れるものはすべて売って賠償する」
東京・秋葉原の耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=ら2人を殺害したとして殺人などの罪に問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判第4回公判。鑑定医の証言内容を証拠として採用するかどうか、若園敦雄裁判長と検察、弁護側双方で話し合いが続いた。
続いて若園裁判長が、林被告の母親に証人として証言するよう求めた。傍聴席に座っていた小柄で白髪が目立つ母親は背中を丸め、前屈みの姿勢のまま傍聴席から証言台へとゆっくり進んだ。いすに座ると弁護人による尋問が始まった。
弁護人「林被告にはほかのご家族として、お父さんとお兄さんがいるのですか」
証人「はい」
弁護人「林被告の小中学校のころの成績はいかがでしたか」
証人「下の方だったと思います」
弁護人「高校に入ってからは?」
証人「落ちました」
弁護人「生活は荒れていましたか」
証人「ございません」
弁護人「会社へ就職した後は自宅から通っていたのですか」
証人「はい」
弁護人「28歳で就職するまでにトラブルとかはありましたか」
証人「ございません」
林被告の母親は、緊張した様子ながらも丁寧な口調で質問に答える。
弁護人「どうして家を出たのですか」
証人「父親がわがままな人なので、『出ていけ』ということになり、1人暮らしを始めたのです。自己中心ですので、私たちも子供たちも逆らうことができませんでした」
弁護人「事件まででトラブルとかはありましたか」
証人「ございません」
弁護人「証人と林被告が会うのは年に何回くらいでしたか」
証人「1、2回…。会う年で年間に3回くらいでした」
弁護人「必ず会うのは?」
証人「1月1日です。午前中に(林被告の実家へ)来て、暗くなって夕飯を食べて帰りました」
弁護人「いつもそうした感じだったのですか」
証人「昨年の1月は来る時間が遅かったです」
家庭内のトラブルについて質問が移る。
弁護人「お父さんの性格はどういった感じですか」
証人「自己中心です」
弁護人「家で突然怒ったりするのですか」
証人「理由がなくても怒ります。あまりよく分かりませんが、食事中はしゃべるなと言ったり…」
弁護人「そうしたときに林被告はどうしましたか」
証人「父親が本人に怒ったりすれば、黙ってその場を離れていました」
弁護人「お父さんに向かっていくことはありましたか」
証人「ありません」
弁護人「ムカッとすることは?」
証人「(林被告の)目つきが変わることはあった感じがします。でも、さっと立ち上がって自宅の2階へと向かいますから」
弁護人「友人らに対してそうした態度を取ることはありましたか」
証人「分かりませんが、3人ほど親友がいて、うちにも来てましたけどケンカをしたりはなかったです」
弁護人「事件はどうやって知りましたか」
証人「テレビで知りました」
弁護人「(警視庁の)愛宕署からも話を聞きましたよね。どう思いましたか」
証人「ビックリしただけです」
複数の裁判員が証言台の母親をじっと見つめている。
弁護人「面会はしましたか」
証人「しました。しかし8月半ばまでは何回行っても泣いており、話はできませんでした」
弁護人「8月半ば以降にはどういう話をしましたか」
証人「とんでもないことをしたなと言いました。息子が『命で償うから』と言いましたので、『お前の命で償えるもんじゃない』と言いました。その後もごめんなさいと言って、泣いてました」
弁護人「事件のことについてはどうですか」
証人「警察の方もいらっしゃるので、私が事件のことについて聞くべきではないと思っていました。東京拘置所へ移った後も事件については何も聞いていません」
弁護人「美保さんが亡くなった後の変化は?」
証人「美保さんの回復を祈っていたので涙を流していました」
淡々と証言していた母親だが、ここに来て涙をこらえ始めた。
弁護人「林被告には1千万円の貯金があったのですか」
証人「はい。今は私が管理しております。賠償に充てるつもりです」
弁護人「ほかに賠償は考えていますか」
証人「田舎の家も、いくらになるか分かりませんが、売れるものはすべて売って賠償に充てたいと思います」
弁護人「現在、被害者に対してどう思われますか」
証人「申し訳ないと思っております」
弁護人「林被告の責任についてはどう思いますか」
母親は涙をこらえきれなくなったのか、しきりにはなをすすりながら、懸命に言葉をつなぐ。
証人「どういう刑が下るか分かりませんが、しっかりと受け止めて、しっかりとやっていってもらいたいと思います」
弁護人「終わります」
検察官、裁判員らは特に質問がないようだ。
母親が、法廷から遺族へ謝罪したいと若園裁判長に求め、認められる。
証人「美保さんと鈴木芳江さんのご遺族様。誠に申し訳ないと思っております」
母親は傍聴席に向かって深々と頭を下げた。
母親の尋問に続き、若園裁判長から名前を呼ばれた鈴木さんの息子が、遺族の1人として意見陳述を始めた。江尻さんと鈴木さんの人生をつづった手記を読み上げた。
遺族「私が生まれ育った家に男が立ち入り、何の落ち度もない母とめいが殺されました…」
息子にとって鈴木さんは自慢の母親であり、小中学校のころは海水浴に連れて行ってもらうのが楽しみだったという。年老いても健康で、俳句やカラオケサークルに所属。家族の全員から愛され、これから親孝行も考えていたというだけに、理不尽な死の無念さを訴えた。
遺族「美保について話をします。しっかり者でテキパキとしていました。私の父の葬儀のときにも手伝ってくれていました。家族に対しては職場の客にもらったぬいぐるみをくれていました。私も(江尻さんが)高校生のときにファミリーレストランの割引券をもらったのを覚えています。高校卒業後は進学も考えましたが、就職をしました。和菓子屋さんで働いた後、耳かき店へと移ったのです」
江尻さんの生前の姿について、読み上げが続いた。