第8回公判(2010.9.17)
(4)「自己保身」「反省なし」と厳しく批判するも「救命確実とまでは言えない」
合成麻薬MDMAを一緒に飲んで容体が急変した飲食店従業員、田中香織さん=当時(30)=を放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死など4つの罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)への判決理由の読み上げが続く。山口裕之裁判長は、田中さんの異変に気づいた押尾被告が、知人らに次々と電話をかけた際の様子について、裁判所が認定した事実を読み上げている。
裁判長「被告は午後6時32分に知人のAに電話をかけたのを皮切りに、6時47分まで立て続けに知人や友人に8本の電話をかけた。Aとの電話では、被害者について『シャワーを浴びて出たら、女の意識がなくて倒れていた』と説明。Bには、『連れの女の意識がない』などと話している」
Aさん、Bさんはいずれも押尾被告の知人男性で、公判に証人として出廷し当時の電話のやり取りを証言。Bさんは「押尾被告に救急車を呼ぶよう何度も言ったが、『マネジャーがまだ来ないので』などと言うだけだった」と話している。
裁判長「Bは7時10分の電話で、『被告が、(田中さんが)死んじゃってると話していた』と言っている。被告は6時35分のAとの電話、6時43分のBとの電話で、被害者が死んでいることを話したと供述している」
山口裁判長は、この証言の食い違いについて「A、Bがあえてうその供述をする事情は見あたらず、被告の供述は信用できない」と述べた。また、田中さんの胸骨骨折に伴う出血が軽いことから、「被告が被害者に心臓マッサージをした時点で、被害者は死亡直前か、すでに死亡していた」と認定した。
裁判長「そうすると、被害者は6時半ごろには意識障害に陥り、被告が心臓マッサージを始めるころまでには心肺停止の状態に至ったと認めるのが相当だ」
田中さんの死亡時刻については、検察側が「異変が起きてから約1時間後」と主張しているのに対し、弁護側は「異変から数分程度で、急死だった」と反論していた。この点について山口裁判長は、次のように判断を示した。
裁判長「被告はMDMA使用罪で逮捕された昨年8月ごろから、被害者が錯乱状態に陥ったのは5時45分ごろと供述しており、錯乱状態になってから心室細動の状態に至るまでの時間は、少なくとも30分間はあったと認めるのが相当だ」
この判断を前提に、山口裁判長は「錯乱状態に陥った被害者が、生存に必要な『病者』に該当することは明らかだ」と続けた。被害者が「病者」であることは、保護責任者遺棄罪・同遺棄致死罪の成立に必要な要件の一つになっている。
裁判長「被害者が服用したMDMAは被告が譲り渡したものであること、被告と被害者はともにMDMAを服用して性交に及んでいること。当時、2307号室はいわば密室状態にあったもので、被害者の生存に必要な保護を加えられる者は被告以外にはいなかった。また、生存に必要な119番通報をすることは被告にとって、極めて容易だった」
山口裁判長は「これらのことに照らし、被告には被害者を保護すべき責任があった」と結論づけた。
裁判長「錯乱状態になった被害者は明らかに異常な状態で、もはや一般人の手に負える状況にはなかった。様子を見る時間を考慮しても、遅くともその時点から数分以内に119番通報するべきだった。
公判では、現場近くの麻布消防署や赤坂消防署の救急隊員が証人として出廷し、119番通報を覚知してから、現場マンションに到着するまでに要する時間について証言。また、マンションの警備員も、救急車が出動した際の受け入れ態勢について説明していた。山口裁判長は、これらの証言を総合し、「被告がそのころ119番通報をした場合、通報から、救急隊員が被害者に接触して医療行為を行うまでに要する時間は十数分程度と認められる」とした。
裁判長「被告は、病者である被害者の生存に必要な保護をすべき責任があり、119番通報をすれば被害者を救命できる可能性があったのに、それをしなかったのであるから、被告に保護責任者遺棄罪が成立することは明らかである」
一方、保護責任者遺棄致死罪の成立までは認めなかった理由については、こう続けた。
裁判長「保護責任者遺棄致死罪が成立するには、病者の救命が確実であったことが、合理的な疑いをいれない程度に立証されることが必要である」
公判では、検察、弁護側あわせて3人の救命救急医が証人として出廷したが、救命可能性についての見解は真っ二つに分かれていた。検察側証人の医師2人が「119番通報で病院搬送されていれば、9割方は救命できた」と証言したのに対し、弁護側証人の医師は「田中さんのMDMAの血中濃度は致死量を超えており、搬送されても救命可能性は高くて30〜40%程度だった」と証言していた。
裁判長「被害者の救命可能性の程度については、専門家である医師の間でも見解が分かれているということになるわけであるから、結局、被害者が錯乱状態に陥ってから数分が経過した時点で被告が直ちに119番通報したとしても、被害者の救命が確実であったことが合理的な疑いをいれない程度に立証されているとはいえないということになる」
「したがって、保護責任者遺棄致死罪の成立は認められない」と山口裁判長は結論を述べた。続いて、懲役2年6月の実刑とした理由についても説明した。
裁判長「結局のところ、被告は芸能人としての地位や仕事、自らの家庭を失いたくないという自己保身のために、自らに責任のある必要な保護をしなかったというのに尽きるのであって、酌量の余地はみじんもない」
「被告はMDMAを服用して自らも変調を来した経験があり、MDMAの服用が一つ間違えば、人の生命に重大な影響を及ぼす危険性があることを十分に認識していながら、安易に服用を続けた揚げ句、本件犯行の前提状況を現出させた。この状況は起こるべくして起こったもので、強い社会的非難を免れ得ない」
「致死罪の責任を問うことはできないというのが裁判所の判断だが、速やかに119番通報していれば救命可能性は十分にあったのであり、対象者が死亡しなかった事案とは犯情を異にする」
また、押尾被告が田中さんへのMDMA譲渡や保護責任者遺棄致死罪について無罪主張したことについても、判決は「真摯(しんし)な反省の情は皆無」と厳しく批判した。
一方で、山口裁判長は押尾被告が一部の罪は認めていること▽田中さんが自らMDMAを服用したこと▽芸能活動の休止など、押尾被告が一定の社会的制裁を受けていること−など、押尾被告に有利な情状についても説明した。
判決理由の説明を終えた山口裁判長に促され、押尾被告が証言台の前に立った。「判決に不服な場合は14日以内に控訴することができます」と伝えられると、押尾被告は裁判長に向かって深々と2回頭を下げた。午後3時45分、山口裁判長が閉廷を告げると、押尾被告は硬い表情で弁護人に何か話しかけていた。