(8)「日本の正義を示せ」「最高刑を」遺族の思いを代弁
英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、リンゼイさんの遺族の男性代理人弁護士の意見陳述が続いている。遺族が考える「事件の真相」とは一体なんなのだろうか。
これまでの公判では、市橋被告に犯行の計画性がなかったことを主張してきた弁護側。これに対し代理人弁護士は、事前の準備の状況や悪質性を指摘していく。代理人弁護士は左手に原稿用紙を持ち、主に裁判官や裁判員の方を見ながら訴えかけるように話している。
代理人弁護士「リンゼイさんを自宅マンションに誘い込んだ状況についてお話しします。市橋被告はレッスンのお金を忘れたことを口実にリンゼイさんをタクシーに連れ込み、自宅に向かいました」
「しかし、この時持っていたカバンには、現金3万円が入っていた。つまり、現金は所持していたのに、誘い込んだと認められるのです」
「また、タクシーの運転手に『4、5分ここにいてくれ』という趣旨の話をしています。弁護側はこれをもって計画性がなかったと言うかもしれないが、これはリンゼイさんを安心させるための発言でしかありません」
語気を強め、市橋被告の悪質性を指摘する代理人弁護士。市橋被告はずっとうつむいたまま話を聞いている。
続いて、代理人弁護士は遺族の考える事件の“真相”について語り始めた。
代理人弁護士「市橋被告は自宅に入り、すぐにリンゼイさんを押し倒しました。そして、げんこつなどで顔面を殴打したのです。空手サークルなどに入っていた市橋被告は抵抗を奪うのに十分な力がありました」
「あらかじめ結んでいた結束バンドを手錠のように使い、左右の手に順次、はめました。そうやって、リンゼイさんの自由を奪った上で、手やはさみで上半身の服を破りました。その後、あらかじめ用意したコンドームを付け、1枚1枚服を破り、陵辱(りょうじょく)の限りを尽くしたのです」
代理人弁護士の陳述は次に、争点となっている「殺意」の有無へと移る。
代理人弁護士「鑑定医の証言から少なくとも3分間、気道を絞めるのに十分な圧力をかけたのは明らかです。また、被告は『大声を出して近所の人に通報されることを懸念した』と証言しています。遺族としては事件の真実を(市橋被告が)十分に話しているとは思えないが、現時点で出ている証言を元にしても、殺意を認定できます」
遺族の思いが語られる間、リンゼイさんの父のウィリアムさんと母のジュリアさんは表情の変化を見逃さないようにと、じっと市橋被告をにらみ付けている。
ここで代理人弁護士は少し話のテンポを緩め、裁判員たちに語りかけるように話し始めた。
代理人弁護士「さて、ここで裁判官、裁判員の皆さんには、この裁判の主人公が誰か考えていただきたい。この裁判の主人公はリンゼイさんです」
「ご遺体の写真をもう一度見てください。リンゼイさんがどんな気持ちだったか考えてください。拘束される苦しみ、辱められる悔しさ、逃げようとしても逃げられず、誰も助けに来ないと感じた絶望感…」
代理人弁護士は一瞬、市橋被告をにらみ付けた。だが、市橋被告はうつむいたまま微動だにしない。代理人弁護士は意見陳述を続ける。
代理人弁護士「リンゼイさんは将来のある美しい女性でした。きちんと仕事をして独立し、たくさんの友人を作るなど快活な女性だった。結婚して子供を持つという夢もありました。その夢を被告人は一瞬で打ち破ったのです」
「生きていたら家族や子供たちと充実した暮らしを過ごしていたことでしょう。それを奪われたリンゼイさんの気持ちを一番に考えてほしいです」
続いて、事件後の家族の状況について説明が始まった。ウィリアムさんは鬱(うつ)病と診断され、ジュリアさんも事件のトラウマでバスタブに入れなくなっているという。周囲から好奇の目で見られることも、精神的に大きな負担になっていることが明らかにされた。
代理人弁護士「英国で平凡な生活を繰り返していたリンゼイさんの家族の生活は大きく変わりました。ウィリアムさんはいまも鬱病の診断を受けています。親として…」
ここで一瞬、涙で言葉をつまらせる男性代理人弁護士。すぐに「すいません」と仕切り直し、意見陳述を続けた。
代理人弁護士「親として日本に行かせたことを悔いています。家族は敬虔(けいけん)なクリスチャンだったが、神さえも信じることができなくなったのです」
続いて、市橋被告の犯行後の動きについて意見が述べられる。
代理人弁護士「生ゴミ発酵推進剤や脱臭炭、園芸用の土をかぶせている。結束バンドなども処分しようとするなど証拠隠滅を図り、警察が自宅を訪れると逃走した。その後、2年7カ月もひたすら逃亡を続けており卑怯(ひきょう)で身勝手極まりなく、厳しく追及されるべきです」
「この公判が始まったとき、被告人は土下座しました。私たちも見ました。しかし遺族は、これが裁判戦略の陳腐な演技と受けとめています」
「謝罪の気持ちがあれば、まず逃げないでしょう。逃げ続けることをしないでしょう。逮捕されたら謝罪するはずでしょう。謝罪の機会があったのにしていない。黙秘も続け捜査に協力しなかった。この公判でも刑事責任を軽くすることしか考えていないのです」
市橋被告は逃亡生活などを記した本の印税を被害者弁償にあてる意向だが、両親は代理人弁護士を通じてあらためて受け取る意思がないことを表明。市橋被告のこの意向は「リンゼイさんを殺した結果得た金で弁償するということであり、非人間性を示すもの」と厳しく指摘した。その上で、「市橋被告に有利な証拠として一切考慮しないでほしい」と訴えた。
代理人弁護士「この裁判は、日本と英国で非常に注目されています。適正な刑罰を示し、日本に正義があることを示すべきです。遺族としては、最高刑を求めます」
遺族の代理人弁護士の意見陳述が終わり、再び休廷が宣告される。再開は15分後の午後3時45分の予定で弁護側の弁論に入る。
予定よりも進行が遅れている論告求刑公判。裁判員たちは、少し疲れた表情で退廷していった。