(1)「逮捕されれば、死刑になる」逃げ続けた被告、罪の重さは?
千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が12日午前、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑を」と極刑を求めており、検察側の求刑内容に注目が集まる。
午前中は市橋被告に対する被告人質問。検察による論告求刑や、弁護側の最終弁論は午後に予定されている。
午前10時1分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷する。5日にわたる公判を経て、なお疲れた表情は見せず検察側の席に座った。
続いて市橋被告が弁護側後方の扉から姿を見せる。これまでの公判では、リンゼイさんを死亡させたことについて、絶えず反省の弁を述べてきた市橋被告。ただ「殺意」については一貫して否定し、リンゼイさんの遺体を土に埋めるなどの工作についても「(なぜやったのか)分からない」とあいまいな証言を繰り返してきた。この日で最後となる被告人質問では、何を語るのだろうか。
午前10時4分、裁判員らが入廷し、堀田裁判長が開廷を宣言する。市橋被告はゆっくりと証言台に移り、男性検察官による被告人質問が始まる。
検察官「犯行場所となった自宅マンションですが、賃貸でなく親族の持ち物だったということでいいんですよね」
市橋被告「そうです」
検察官「両親から月いくら仕送りを受けていましたか」
市橋被告「12万円だったと思います」
犯行時、市橋被告は28歳で無職だった。
検察官「警察に逮捕されたのは今回の事件が初めてですか」
市橋被告「いいえ。前にも1度あります」
検察官「財布を盗んだ後、逃げようとして相手にけがを負わせた事件ですね」
市橋被告「マンガ喫茶の店内に財布が落ちているのを見つけて持って逃げようとしました。それを見つけた人ともみ合って、階段から落ちました。それで私は逮捕されました」
検察官「相手にけがをさせましたね」
市橋被告「はい」
検察官「26歳のころの事件ですね」
市橋被告「はい」
検察官「身柄拘束は何日間でしたか」
市橋被告「14日だと思います」
検察官「そのときは両親が示談にしてくれたんですよね」
市橋被告「そうです」
検察官「釈放されたとき、今後一生犯罪をしない気持ちでいましたか」
しばらく押し黙る市橋被告。震えた声で答え出す。
市橋被告「その覚悟がなかったと思います。私はあのとき、刑務所に入るべきでした」
マイクを通じ、市橋被告の「フー」という荒い息づかいが聞こえる。
検察官「端的に答えてください。もう二度と犯罪を起こさないという気持ちでしたか」
市橋被告「そう思いました」
続いて、検察官はリンゼイさんを誘い出す口実となった「英会話の個人レッスン」に関連し、市橋被告の英会話への思いについて質問していく。
検察官「あなたは英会話スクールに通っていましたか」
市橋被告「通っていません」
検察官「留学の予定は決まっていましたか」
市橋被告「決まっていません」
検察官「英語の試験では良い成績を取ることができましたか」
市橋被告「できませんでした」
検察官「当時の交際相手とは結婚するつもりでつきあっていましたか」
市橋被告「いいえ」
矢継ぎ早の質問に市橋被告は淡々と答えていく。
検察官「逃げているときのことについて聞きます。逮捕状が出て、指名手配されていたことは分かっていましたか」
市橋被告「分かっていました」
検察官「平成21年11月10日に逮捕されるまで、自ら出頭しませんでしたね」
市橋被告「はい」
検察官「あなたは逃げ始めた際、4、5万円の現金を持っていましたね」
市橋被告「そうです」
検察官「もともとあなた自身が持っていたものですか」
市橋被告「『もともと』というのはどういう意味ですか」
検察官「質問を変えます。あなたは逃げているとき、無賃乗車をしたり、自転車を盗んだりしていますね」
市橋被告「はい」
検察官「逃げ通すために整形手術もしましたね」
市橋被告「そうです。逃げるためです」
市橋被告の息づかいがまた激しくなる。「はあ、はあ」という声が漏れ出す。
検察官「沖縄の島でも暮らしましたね」
市橋被告「はい」
検察官「逃走している間、被害者が殺害され、容疑者が逃亡中という報道は聞きましたね」
市橋被告「はい。聞きました」
検察官「一生逃げ通すつもりだったんでしょ」
市橋被告「逃げていたかった…。そう思いました…」
11日の被告人質問で、市橋被告は事件発覚直後に警察官を振り切って逃走し、2年7カ月にわたり出頭しなかったことを「責任を取ることが怖かった。『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていた。本当に卑怯(ひきょう)だった」と証言している。
検察官「そうやって逃げている中、仮に逮捕されたら、どのぐらいの刑を受けると思っていましたか」
市橋被告「リンゼイさんの苦しみを考えると…、死刑になると思っていました」
検察官「(大阪のフェリー乗り場で)逮捕されたときも、逃げるために沖縄に行こうとしていたんですよね」
市橋被告「沖縄の小屋で死のうと思いました」
自ら「死刑」に言及し、自殺を図ろうと考えていたことも明かす。
検察官「あなたは逮捕されたあと、黙秘だけでなく食事も取りませんでしたね」
市橋被告「はい」
検察官「警察官からDNA鑑定に必要な口の中の細胞を取らせてくれないかと頼まれ、応じませんでしたね」
市橋被告「断ったと思います」
検察官「断った結果、裁判官の出した令状によって強制的に採血されましたね」
市橋被告「そうだと思います」
検察官「(口内の細胞採取を)なぜ断ったのですか」
市橋被告「事件のこと以外はすべてお話しするつもりはありませんでした。だから断ったと思います」
検察官「DNAの鑑定に協力すれば、しゃべらなくても事実解明されていくと思いませんでしたか」
市橋被告「思いませんでした」
検察官「そもそも事実が解明されることが嫌だったんじゃないですか」
市橋被告「それは嫌ではありません。私が嫌だったのは、私が一方的に事件のことを話すことが嫌でした。リンゼイさんはもう何も話せません。それだけが嫌でした」
男性検察官は市橋被告が出版し、印税をリンゼイさんの遺族に支払うとした手記について質問する。
検察官「出版ということはあなたが、原稿を長々と書いたわけですよね」
市橋被告「書きました」
検察官「そうやって書いているとき、出版したら遺族の方がどう思うと考えていたんですか」
市橋被告「そんなことをすれば、リンゼイさんのご家族は嫌悪感を覚えて、私のことを絶対に許さないと思いました」
検察官「原稿を書いているときに思っていたんですね」
市橋被告「思いました」
検察官「リンゼイさんのお母さんが『本は殺人の成果物で、1ペニーももらいたくない』と(11日の)法廷で言ったのを聞きましたね」
市橋被告「聞きました」
市橋被告は声を荒らげる。
検察官「その話を聞いたあと、今も(印税を)受け取ってほしい?」
市橋被告「はい。できれば受け取ってほしい…。いつでもいいです。できれば受け取ってほしい…」
弁護側によると、逃亡生活をつづった手記の印税は約912万円に上るという。
検察官「リンゼイさんのお母さんの証言を聞いたあとも考えは変わらない」
市橋被告「迷います…。はあ…。でも、私ができるだけ責任を果たしたいという気持ちは、書いていたときと変わらないです」
リンゼイさんの母、ジュリアさんは市橋被告をじっと見つめている。何を思うのだろうか。