(10)「リンゼイさんが動かなくなるまで」覆い被さった被告の殺意は…
英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、弁護側による被告人質問が続く。
男性弁護人は平成19年3月26日未明、市橋被告方のマンションからはって逃げようとするリンゼイさんに対し、覆いかぶさって押さえつけようとした状況について尋ね、市橋被告はリンゼイさんが言葉を発したと答えた。
弁護人「どのような言葉を言われたのですか」
市橋被告「アイ・ガット・イット、アイ・ガット・イット、ハハハ」
弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
市橋被告「『分かった、分かった、ハハハ』だと思います」
弁護人「それを聞き、どう思いましたか」
市橋被告「私はリンゼイさんを全然押さえ込めておれず、逃げてしまうと思いました」
弁護人「リンゼイさんはその状態で前に進もうとしていましたか」
市橋被告「はい」
弁護人「あなたはどういう行動に出ましたか」
市橋被告「私は体を前に倒すようにしてリンゼイさんの上に覆いかぶさりました」
検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた。
弁護人「なぜ覆いかぶさったのですか」
市橋被告「リンゼイさんが声を上げないように、リンゼイさんが逃げないようにするためでした」
弁護人「覆いかぶさってどういう効果があると思いましたか」
市橋被告「覆いかぶされば、リンゼイさんが逃げないし、声を上げても響かないと思いました」
弁護人「覆いかぶさったとき、左腕をリンゼイさんに巻き付けるようにしていたと言っていましたが、そのとき左腕はどこにありましたか」
市橋被告「下にいるリンゼイさんの下に、私の左腕がありました」
弁護人「リンゼイさんの体の下のどの辺りにありましたか」
市橋被告「私の左腕が私の体と、リンゼイさんの体の下にあり、私が覆い被さったときに左腕がリンゼイさんの体の下のどこにあったのかまでは分からないのです」
市橋被告はやや不自然な言い回しで答えた。市橋被告ははなをすすり、息が上がっているようだ。
弁護人「左腕は自由に動かせましたか」
市橋被告「動きませんでした」
弁護人「左腕は抜けなかったのですか。引き抜けなかったのですか」
市橋被告「抜けませんでした」
市橋被告は嗚咽をもらしたような声を出したが、その表情はうかがえない。弁護人はさらに左腕がリンゼイさんの体のどのあたりに接触していたかについて質問を重ねたが、市橋被告は「分かりませんでした」と繰り返した。
弁護人「リンゼイさんを押さえつけた状態で、リンゼイさんの顔がつぶれることを心配しなかったのですか」
市橋被告「リンゼイさんの顔の下は畳でした。そのとき、リンゼイさんの顔がつぶれるとは考えていませんでした」
傍聴席でリンゼイさんの遺影を抱く姉妹は生々しい犯行手口の表現に、うなだれてしまった。
弁護人「一昨日の公判で医者の証言を聞いたでしょ? あなたの左腕で被害者の喉が圧迫されたことも考えられると言っていたでしょ? 被害者の喉を圧迫した認識はありましたか」
市橋被告「左腕がどこにあるか分かりませんでした」
弁護人「覆いかぶさっていたとき、右手はどうなっていましたか」
市橋被告「右手は…、私の…右横で…。私はリンゼイさんの体に乗りかかった状態から、右側に右手を立てました」
市橋被告は、実際にその場で右腕を動かしながら、右腕で畳をおさえ、体を支えていたと説明した。
弁護人「左腕と右腕が結ばれていたということはありますか」
市橋被告「ありません」
弁護人「あなたが覆いかぶさったとき、リンゼイさんの後頭部はどの辺りにありましたか」
市橋被告「私の胸の下にリンゼイさんの後頭部がありました」
弁護人「あなたは体をリンゼイさんの上に乗せ、リンゼイさんは声を出さなくなりましたか」
市橋被告「出さなくなりました」
弁護人「体は動いていましたか」
市橋被告「リンゼイさんの体は暴れていました」
弁護人「乗ったとき、どうしようと思ったのですか」
市橋被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、リンゼイさんの上に覆いかぶさろうと思いました」
弁護人「動かなくなるまでとは?」
市橋被告「リンゼイさんが抵抗しなくなるまでです」
弁護人「抵抗しなくなるまでとは?」
市橋被告「申し訳ありません」
質問には答えず、はなをすすりながら謝罪する市橋被告。弁護人は「そうじゃなくて」と言い、質問を重ねる。
弁護人「抵抗しないとはどのような状態を想定していたのですか」
市橋被告「逃げるのを諦めるまで…」
弁護人「(リンゼイさんが)逃げるのを諦め、声を出さなくなったら、どうするつもりだったのですか」
市橋被告「リンゼイさんから離れるつもりでした。リンゼイさんにまた、(直前まで縛って監禁していた)浴槽の中に入ってほしかった」
市橋被告の声は消え入るようにか細くなった。弁護側はこれまでのやり取りで、市橋被告に殺意がなかったことを強調したいようだ。弁護人は大型モニターに、市橋被告がリンゼイさんを押さえつけた状況を絵で描いた紙を映し出した。
市橋被告がリンゼイさんの体の上に半身を乗せたような状態で左手で口付近を押さえているところから、完全に覆いかぶさって左腕をリンゼイさんの体に差し込むまでの過程が5枚に描かれている。
市橋被告は弁護人の「これはどういう状況?」という質問に答える形で、絵の解説を行ったが、途中で涙声で「すみませんでした」と謝罪した。
弁護人「完全に覆いかぶさった状態でどれくらい時間が経ちましたか」
市橋被告「私の感覚では短かったのです」
弁護人「その後、どうなりましたか」
市橋被告「リンゼイさんは動かなくなりました。リンゼイさんが逃げるのを止めたと思いました」
弁護人「リンゼイさんは下を向いていましたか」
市橋被告「はい」
弁護人「あなたはリンゼイさんを仰向けに起こしましたか」
市橋被告「起こしました」
弁護人「どうなっていましたか」
市橋被告「リンゼイさんは両目を開けていました。目の焦点は合っていませんでした」
傍聴人席で目頭をハンカチで押さえ、泣く姉妹たち。検察側の後方に座る両親も目に涙をためながら、姉妹たちを心配するように見つめていた。
市橋被告はその後、人工呼吸、心臓マッサージを説明した。
弁護人「あなたは心臓マッサージの技術を持っていましたか」
市橋被告「持っていません」
一般的に心臓マッサージで胸骨は骨折するとされるが、リンゼイさんの胸骨は折れていなかった。
弁護人「(胸が折れるような)やり方で心臓マッサージをしたのですか」
市橋被告「していません」
弁護人「被害者を殺害しようとしたのですか」
市橋被告「思っていませんでした」
リンゼイさんの両親は「信じられない」という表情をしながら、ほぼ同時に体をのけぞらせた。殺意の有無は裁判の最大の争点となっており、弁護人は質問を続ける。
弁護人「死んでもいいと思いましたか」
市橋被告「思いませんでした」
弁護人「死んでしまうかもしれないとは」
市橋被告「思わなかった…。すみません」
弁護人「左腕がリンゼイさんの首を圧迫していると分からなかった」
市橋被告「分からなかった…」
絞り出すように答えた市橋被告。弁護人は「予定したものは終わりました」と堀田真哉裁判長に告げ、堀田裁判長は閉廷を宣言した。8日午前10時から被告人質問が続けられる。