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(1)「歌織被告には完全責任能力があった」

【はじめに】

 この裁判では、本件の各公訴事実、つまり三橋歌織被告が犯した(1)殺人(2)死体損壊(3)死体遺棄−の各事実を証明するため、これまで数々の証拠を取り調べてきました。

 検察官は、これまでの証拠調べの結果、本件の公訴事実が十分に証明されたものと確信しています。

【この事件の概要と争点】

●1 概要

 本件は、歌織被告が平成18年12月12日未明、夫である祐輔さんの頭を、容量約750ミリリットル(重さ約1キログラム)のワインボトルで複数回殴って殺害。同14日に祐輔さんの遺体をのこぎりで切断して5つに分け、16日ごろにかけて、それぞれ別の場所に捨てたり、埋めたりしたという殺人、死体損壊および死体遺棄の事件です。

●2 争点と検察官主張の概要

 本件では、事実関係について歌織被告も各犯行を認めており、他の証拠からも歌織被告がそれらを犯したことは明らかです。

 これに対し歌織被告は、鑑定人の問診において本件犯行当時、「異常な精神状態だった」と供述。これを受けて弁護人は、「歌織被告は本件犯行当時、短期精神病性障害あるいは脳の器質的障害に基づいて、意識障害および幻覚などが発症しており、責任能力を欠いていた」と主張し、責任能力を争っています。

 そして、本件裁判で実施された精神鑑定では、「歌織被告は本件犯行当時、短期精神病性障害によるもうろう状態などにあり、責任能力が欠けていた、あるいはその疑いがある」とされました。

 しかし、この鑑定結果は、全く信用できません。

 後に詳しく述べるように、本件犯行の動機は普通の人において十分「了解可能」(=誰にでも理解が可能という意味)である上、本件犯行および犯行前後の行動は、いずれも極めて合理的かつ目的に沿ったものです。

 責任能力に影響をおよぼすような異常は一切みられず、歌織被告は本件犯行当時、完全な責任能力を有していたことが明らかです。

 そして、本件精神鑑定の結果は、本件犯行の動機や犯行の手段・態様などから認められる歌織被告の精神状態と明らかに矛盾している上、当初の被告人質問にも出てきていません。

 鑑定人の問診時に突如として出てきた、信用性の全くない歌織被告の前記供述に基づいているのであって、不当というほかありません。

 このような不当な鑑定結果に拘束される必要がないことは、判例上も明らかです。

 そして、責任能力の判定については、最高裁決定が「精神鑑定の結論部分に拘束されることなく、鑑定書全体の記載内容とそのほかの精神鑑定の結果、ならびに記録により認められる被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様などを総合して」責任能力の有無を判断するとしており、この最高裁決定は、司法の分野ではすでに確立した判例なのです。

 そもそも、責任能力の本質は、違法行為を行ったことについて行為者を法的・社会倫理的に非難できるかどうかの問題です。その行為が行為者の人格の現れと認められれば、非難可能であり、その行為が行為者の人格とは異なる精神障害の結果であれば、非難できないというものですから、責任能力の有無はその行為が行為者の人格の現れなのかという観点から判断する必要があるのです。

 従って、本件ではこのような責任能力の本質論を前提にしつつ、前記最高裁決定の判断要素に従い、(1)犯行動機の了解可能性(2)犯行の手段・態様の合理性(3)証拠隠滅工作の存在および内容(4)犯行前後における歌織被告の行動の合理性−などを総合考慮して、歌織被告の責任能力の有無を判定すれば、歌織被告には本件犯行の前後を通し、精神障害を疑わせるような事情が一切なく、本件犯行時に完全な責任能力があったことは明らかです。

 まず、この点を述べます。

 そして次に、これと矛盾する本件の精神鑑定が不当であって、歌織被告の責任能力の判定に何ら影響を与えないことを明らかにします。

【歌織被告には完全責任能力があった】

●1 本件殺人の動機は「了解可能」

(1)歌織被告は、夫である祐輔さんとの間でけんかが絶えず、憎しみをつのらせて離婚を決意し、経済的に自分に有利な条件を突きつけようと画策していました。そして、ようやく浮気の証拠を手に入れたにもかかわらず、祐輔さんは歌織被告に有利な形での離婚の話し合いに応じませんでした。

 そのため、その態度に言いようのない理不尽さと憤りを感じ、自分の思い通りに事が運ばない腹立たしさ、祐輔さんから過去に受けた暴力に対する怒りや恨みなどを抑えきれなくなり、憎しみの感情を爆発させてその殺害を決意したものです。

 このような動機やその形成過程には、精神障害を疑わせるような異常や飛躍は全く見あたらず、本件殺人の動機は十分了解可能です。

 そこでまず、動機形成に結びつく本件殺人の経緯を証拠から明らかにし、本件殺人の動機が、検察官主張の通りであることを明らかにします。

(2)本件殺人の経緯について

 まず、証拠によって認められる本件殺人の経緯は、以下の通りです。

 歌織被告は平成17年6月、祐輔さんから暴力を受け、いわゆるシェルターに入ったことを契機に、祐輔さんに対する憎しみを募らせていました。

 しかし、離婚後の生活に不安もあり、暴行を繰り返した場合には3600万円の慰謝料を支払う−との内容の公正証書を作成することを条件に、祐輔さんの元に戻りました。

 歌織被告はその後も、経済的に自分に有利な条件で離婚しようと画策していましたが、このころには暴力がなくなっていたため、祐輔さんの浮気の証拠をつかもうと、帰宅時間などを調べていました。

 ところが平成18年に入り、逆に祐輔さんから離婚を切り出されるようになって、歌織被告はますます憎しみを深め、祐輔さんが購入を考えていたマンションや、平成19年1月の祐輔さんの300万円前後のボーナスを手に入れてから離婚しようと考えていました。

 そして歌織被告は平成18年12月9日、浮気の決定的な証拠をつかもうとして、祐輔さんとのその交際相手B子さんとの会話をボイスレコーダーで録音。同11日にはこのことを祐輔さんにほのめかし、自分に有利に離婚の話をしようとしました。そして、友人のAさんを自宅に呼び、かなり怒った様子でAさんに録音した会話を聞かせました。

 一方、歌織被告にB子さんのことが知られたと思った祐輔さんは、B子さんに「これから離婚の話をする」などと言って帰宅しました。

 これらの証拠から明らかに認められる本件殺人の経緯から考えると、歌織被告が祐輔さんを殺害した動機は前記の通り、「祐輔さんに対する憎しみを爆発させたこと」にあることは明らかです。

 この点、歌織被告の母親の証言によると、歌織被告は本件殺人の2日後、電話で母親に対し、帰宅した祐輔さんから「お前の顔なんか見たくない。給料もボーナスもびた一文渡さない。これはおれの家だ。出て行け」などと言われ、激しい口論になったと話していた、といいます。

 この発言からは、本件犯行直前、浮気の証拠を握られたと思って観念し、歌織被告との離婚を決意した祐輔さんから、とりあえずと考えていたボーナスの受け渡しさえも拒否され、激しい口論となる中で、その態度に言いようのない理不尽さと憤りを感じ、憎しみを爆発させたことが十分に推認できます。

(3)殺人の経緯に関する歌織被告の弁解は虚偽である

 これに対し、歌織被告は(1)シェルター出所後も被害者の激しい暴力が続いていて、恐くて仕方なかった(2)ボーナスを手に入れようなどとは考えていなかった−などと、前記事実とは異なる供述をした上、本件の動機が祐輔さんの暴力への恐怖であったかのような供述に終始しています。

 しかし、以下に述べる通り、歌織被告のこれらの弁解が虚偽であることは明らかです。

⇒論告要旨(2)「精神障害あるかのように供述変遷」