弁護側冒頭要旨(下)毎日遺族に手紙、「悔やみ反省している」」
被告は4月5日にいらだって「もういい」と言って帰ったという自分の態度以外は、思い当たることはなく、これまでの美保さんとのやり取りから、美保さんとは個人的な信頼関係があるため、直接会って謝罪して誤解を解き、また店に通いたいと思いました。
そのため被告はゴールデンウイークに秋葉原駅改札で美保さんを待っていたのですが、美保さんの姿を見たものの声を掛けられず、結局、新橋になって声を掛けて理由を聞こうとしました。しかし、美保さんは「無理です」と答えただけで、話の途中で立ち去ってしまいました。
被告はこの日を境に「なぜ会えない理由を言ってくれないのか」と思い悩むようになりました。そして、悩みの堂々巡りを繰り返すうちに、次第に夜も眠れず、食欲もなくなり、車の運転中に危ない思いをするようになりました。
被告は悩んでも考えても拒否される理由が分からず、美保さんから理由を聞いて誤解を解くことしか頭に浮かびませんでした。
そこで7月19日、美保さんに会って、再び拒否する理由を聞こうとしました。しかし美保さんは、この時も「もう無理です」などと答えただけで、今度は走って逃げていきました。被告はさらに悩むようになりました。
その翌日に、美保さんにメールしてもメールアドレスが変わっていて、メールは届きませんでした。被告は、やはり直接会って誤解を解くしかないと思い、8月1日にも美保さんに会いに新橋に行きましたが、会えませんでした。もちろん、凶器などは持っていっていません。
被告は楽しかった「安らげる場所」に戻れない、その戻れない理由を知ることもできないから手の打ちようがない、もうだめだという思いが強くなっていき、睡眠不足、食欲不振、集中力が欠如し、極限に近づいていました。
しかし被告は事件前日の8月2日、定期券を購入し、翌日役所に出すことにしていた持病の膠原(こうげん)病の書類も書きました。なので、被告はこの日までは美保さんを殺す殺意は持っていませんでした。
被告は8月3日、いつものように睡眠不足のまま朝を迎え、美保さんへの殺意を抱くに至り、2人が死亡するという重大な結果を引き起こしてしまいました。
第4に、被告の犯行時の精神状態にも3点、注意していただきたいところがあります。
1つ目に、被告は百%の責任を問える精神状態だったのかという点、2つ目は、芳江さんに対する犯行は、被告のパニック状態によって引き起こされたものだという点、3つ目に、美保さんへの殺意は決して強固なものでなく、美保さんへの攻撃も途中で止めている点です。
精神状態については、被告が美保さんへの殺意を抱いたあとの被告の行動に不可解な点がいくつもあります。例えば、被告はかばんにハンマーと果物ナイフと短い包丁を入れるのですが、包丁は刃をむき出しにしたまま、やわらかい生地のかばんに入れています。包丁の先が刺さることを気にせずに千葉の稲毛から朝の通勤ラッシュの電車に乗っています。美保さんの家にかぎがかかっているか一切考えていなかったこと、朝8時すぎなのに美保さんの家族がいることを想像もしていなかったこと、犯行後どうするかを考えていなかったことなど、どれも普段の被告であれば当然考えることですが、当時は考えられない状態でした。
このときの被告の心理状態は、「なぜ拒絶されているのか分からず困惑している」のと、「美保さんのことだけに気持ちがとらわれている」のと、「眠れなくて何事にも意欲がなくなり、物事がきちんと考えられない状態が重なっていた」と考えられます。
われわれ弁護人は今回の裁判で、判断やコントロールが困難な程度が著しいとまでは言えないと考えて、心神耗弱の主張はしていません。しかし、被告の犯行時の判断やコントロールする能力は、相当程度に困難な状態だったと考えています。
責任を負うべき程度はゼロか100かの問題ではなく、心神耗弱に該当しなくても、必ずしも百%の責任を負うべきではなく、80%や70%の責任を負うべき場合もあります。責任が重いということにも、程度があるのです。犯行時の被告の精神状態が、どの程度責任を負わせるべき状態だったのか考えてほしいと思います。
2つ目については、被告は美保さん方の玄関から靴を脱いで上がり、振り向いたところで芳江さんと目が合い、被告は予想をしていなかった芳江さんが至近距離にいることに驚き、とっさに襲いかかったのです。被告はパニック状態であるといえます。
3つ目については、被告は美保さんから抵抗されている途中、美保さんの母親と兄の声に気づき攻撃をやめています。その後、母親と兄が逃げて、美保さんと被告が家に残されましたが、被告は美保さんに何もしていません。これは、殺意が強固でなかったことを示しています。
第5の理由は、犯行後に正気に戻った被告が、どれだけ悔やみ反省しているのかということにも注目していただきたいです。
事件後、被告は次第に正気に戻り、事件当日の夜から反省して泣いていました。翌日の取り調べでも泣いていました。美保さんが亡くなるまでの1カ月あまりの間は、毎日回復を祈り続けていました。
被告は手紙が書けるようになった21年8月6日から、取り調べで時間が取れない日をのぞいて、毎日ご遺族などにあてた手紙を書いています。毎日必ず事件のことを思いだしているのです。被害弁償も申し出ています。
被告が事件を後悔し、反省していることは、数日間の公判での被告の態度も含めて、見ていただきたいと思います。
今回の裁判は、被告にどの程度の刑を下すかが議論の中心となりますが、これまでお話しした点に注目して証拠調べを見ていただければと思います。