(1)被告が蚊の泣くような声で口にしたのは…「取り返しのつかないことをした」
東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判が19日午前、東京地裁で始まった。
売れっ子の店員に一方的に好意を抱き、ストーカー行為の末に自宅に侵入し、ハンマーやナイフで2人を殺害したとされる犯行には、裁判員裁判で初の死刑求刑が行われる可能性がある。
「私は江尻美保の父親として鈴木芳江の娘の夫として、裁判員と裁判官の皆様に適正な判断をしていただくことを切に望んでいます」。江尻さんの父親(57)は今月13日、こうコメントを出した。
コメントでは「適正な判断」との表現にとどまっているが、複数の被害者が出た殺人事件では、検察側が極刑も含めて求刑を検討するのが一般的だ。死刑が求刑された場合、裁判員は被告の生死を左右する重大な判断を迫られることになる。公判は計6回開かれ、11月1日に判決が言い渡される。
女性店員がひざ枕で男性の耳掃除をするサービスから「癒される」とブームになり、東京・秋葉原を中心に全国に広まった耳かき店。江尻さんは秋葉原の店に勤務し、テレビ番組にも取り上げられたほどの人気だったという。
法廷は東京地裁で最も大きい104号法廷だ。傍聴人が次々法廷に入る。午前9時58分、若園敦雄裁判長が事務官に声をかけた。
裁判長「ほかに傍聴人は大丈夫ですか」
事務官が「すべて入廷しました」と応じる。傍聴席から向かって左の扉から林被告が法廷に入ってきた。細身の体格で、黒いスーツに白いシャツ姿。眼鏡をかけ、短髪で額が広く、ほおがこけている。
背を丸めて歩き、弁護人の右隣の席に座ると、弁護人と二言、三言やり取りする。弁護人の言葉に首を振ったり、うなずいたりしている。
これまでの取材によると、林被告は頻繁に店を訪れ、江尻さんを指名。10時間近く滞在し「付き合え」と迫ったこともあり、店側から入店を拒否された。その後、林被告は江尻さんの自宅近くで付きまとって肩を触るなどしたため、江尻さんは事件前、「客の男に付きまとわれている」と警視庁に相談していた。
「交際を断られて腹が立ち、殺そうと思った」。逮捕後の調べに林被告はこう供述。鈴木さんについては見とがめられ、「この人を殺さないと江尻さんを殺せない」と考えたと供述していたという。
続いて裁判員の女性4人、男性2人が入廷してきた。うち3人が若い男女で、スーツ姿の男性を除いてセーターなどのラフな格好だ。
裁判長「それでは開廷します。被告は証言台の前に立って」
午前10時ちょうど、若園裁判長が開廷を告げた。林被告が証言台の前に立つ。手を前に組んでややうつむいている。若園裁判長が質問を始めた。
裁判長「お名前は?」
被告「林…貢二です…」
蚊の泣くような声で聞き取るのがやっとだ。その後、生年月日や住所を確認するが、聞き取れず、その都度、若園裁判長が林被告の発言を繰り返す。
裁判長「現在の仕事は?」
被告「現在は無職です」
その後、若園裁判長が検察側に起訴状を朗読するよう指示し、林被告には「よく聞いていてください」と告げた。細身の若い検察官が立ち上がり、ゆっくりした口調で、度々林被告の顔を見ながら、起訴状を読み上げる。
起訴状によると、林被告は昨年8月3日午前8時50分ごろ、港区の江尻さん方に侵入し、1階にいた鈴木さんの頭をハンマーで殴った上、首を果物ナイフで何度も刺して殺害。2階にいた江尻さんの首も別のナイフで数回刺したとされる。江尻さんは病院に運ばれたが、約1カ月後に死亡した。
検察官「以上です」
ここで若園裁判長が「読む順番が違うようですが」と再度起訴状を読み直すように指示する。この事件では、江尻さんが事件後に死亡したため、江尻さんへの殺人未遂罪が殺人罪にその後、訴因が変更された。この訴因変更部分で読み違えがあったようだ。検察官が起訴状を読み直す。
裁判長「最初に説明しておきますが、黙秘権がありますから無理に話す必要はありません」
若園裁判長が黙秘権についてゆっくりした口調で丁寧に説明し、「分かりますね」と念を押す。林被告は「はい」とつぶやく。
裁判長「いま聞いて事実関係で違うところはありますか」
被告「間違いありません」
さきほどよりは少し大きくなったものの、やはり聞き取るのがやっとの声だ。そして林被告はこう続けた。
被告「被害者の方に取り返しのつかないことをして本当に申し訳ありません。この場を借りておわびしたいです」
顔を紅潮させながら、一気にこう語ると、弁護側の席に戻った。弁護人は「公訴事実について争いません」と告げた。
弁護側は当初、責任能力について争う姿勢だったが、裁判所が実施した精神鑑定で「判断能力は低下していたが、行動に著しく影響を与えたとは考えられない」との結果が出たのを受け、争わない方針に転換。裁判員にとって量刑の判断材料は被告の反省態度や動機など、情状面に絞られている。
検察側による冒頭陳述の読み上げに移る。事務官が裁判員らにメモを配る。別の男性検察官が冒頭陳述の読み上げに立った。
検察官「これから証拠により明らかにする事実を述べます。メモを参照しながら聞いていただきたいと思います」
検察官は、一般人である裁判員を意識してかゆっくりした口調で読み上げに入った。
検察官「この事件は耳かき店の店員に一方的に恋愛感情を抱いて付きまとい行為の揚げ句に、入店が禁じられたために入店禁止を解いてもらおうと自宅に向かい、『邪魔になる』と鈴木さんを殺害し、江尻さんをも殺害した事件です」
裁判員は一様に真剣な表情で資料に目を落とし、検察官の読み上げに聞き入っている。
冒頭陳述によると、林被告は電気関係の専門学校を卒業後に設計関係の会社に就職し、事件当時もそこで働いていた。
検察官「被告は結婚歴はなく、独身で当時、千葉市内で一人で暮らしていました。女性との交際が乏しく、女性と付き合ったことありませんでした」
その後に被害者2人の経歴の説明に移った。江尻さんは2人兄妹で、高校卒業後に和菓子店に勤めたが、腰を痛めたため、事件当時の耳かき店に移ったという。
検察官「家族仲が非常によく、家族の写真を携帯電話の中に入れて持ち歩いていました」
一方の鈴木さんは江尻さん兄妹や両親と同居していたが、1カ月前に夫を亡くしたばかりだったという。
検察官「78歳と高齢ながらエッセーや俳句集を出版するなど元気に暮らしていました」
検察官の冒頭陳述の読み上げが続く。林被告はうつむきがちにじっと聞き入っている。