(8)「刺されて痛かったろう、苦しかったろう」 父の悲痛な訴えに目元をぬぐう裁判員
耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=へのストーカー行為の末、江尻さんら2人を殺害したとして、殺人などの罪に問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判初公判が休廷の後、再開した。林被告はうつむき気味に入廷し、少し疲れた様子だ。若園敦雄裁判長は「大丈夫ですか」と声をかけた。続けて男女6人の裁判員が入廷し、裁判長が審理再開を告げた。
裁判長「再開します」
ここで、検察官は途中で途切れた防犯ビデオの映像の残りの部分を再生した。廷内のモニターには何も映し出されず、音声だけが聞こえる。事件直後の騒々しい様子が映っているようだ。騒ぎ声の中で、「中に入ってください」との警察官と思われる声が響く。
検察官「続けて、耳かき店の状況についての報告書です」
廷内の大型モニターに秋葉原のビルが映し出された。続けて、店内の見取り図や写真が示されていく。
検察官「店内の写真です。江尻さんの使用していた部屋です」
布団が敷かれた畳の部屋で、3畳くらいのスペース。ピンクの浴衣もかけられている。左端の女性裁判員は髪をかきあげモニターを見つめる。続けて部屋の備品やほかの部屋などの写真が映し出された。
検察官「続けて、被告人の来店状況についての捜査報告書です。『吉川』の来店回数を数えたものです。吉川は被告が店で使っていた名字(偽名)と同一です。江尻さんの手帳を示します」
モニターに手帳のスケジュール欄が映し出された。ほとんどが黒塗りだが、ところどころ日付の横に「吉川」と小さく記載されている。
平成20年3月からの毎月のスケジュール欄が順に映し出されていく。初期のころは手帳の大半が黒塗りで、吉川の名前は数カ所にしかない。だが、次第に数は増えていき、20年末から21年初めにかけ、毎週金、土、日のほとんどすべての日に吉川の文字が書かれている。
検察官「21年4月17日にはストーカーの文字が書かれています」
手帳の4月17日のスケジュール欄に「ストーカー」と小さくはっきりと書かれている。
検察官「続けて、吉川の記載回数を調べた表です」
画面に表が映し出された。林被告の来店回数が曜日、月ごとに記載されている。20年3月は月に5回だったが、次第に来店回数が急増していく。
検察官「平成20年11月は16回、12月は17回、21年1月は18回です。曜日ごとに見ると、金曜日が31回、土曜日が52回、日曜日が49回。通算の合計回数は154回です」
次第にエスカレートする林被告の来店回数。左から2番目の女性裁判員は険しい表情でモニターを見つめている。
検察官「続けて、被害者の生前の写真を示します。江尻美保さんの写真です」
廷内の大型モニターに笑顔の江尻さんの写真が映し出された。続けて、家族と写っている写真など計3枚の写真が映し出された。林被告は下を向き、正面の壁に備え付けられたモニターを見ようとしない。
検察官「耳かき店での美保さんの写真です。モニターを消してください」
大型モニターの画面が消され、検察官が説明していく。左から3番目の男性裁判員はいすに深く腰掛けモニターを見つめている。
検察官「次の証拠は、美保さんの父の供述調書です。21年8月16日のものです。美保さんの生育、生活状況、病院で見たときの気持ちや処罰感情を朗読します」
江尻さんが意識不明の状態だった当時に取られた調書のようだ。
「私は21年8月3日朝、私の知らない男に刺されて生死をさまよう美保の父で、亡くなった(鈴木)芳江の娘の夫です」
「美保は生まれる前は流産しそうになり、お医者さんに8割無理といわれたが、乗り越えて生まれてきました。美保には4歳上の長男がおり、美保は待望の女の子でした。妻の名前から『美』の字をとり、美保と名づけました」
廷内のモニターに、布団で寝転がる赤ん坊と、幼い男児の写真が映し出された。調書を取る際も写真を示しながら進められたようだ。
「アルバムの写真です。赤ちゃんが美保で、その隣が長男です。クリスマスに妻が抱いている写真です。おばあちゃんと一緒の写真です。犯人に刺されて亡くなりました」
「美保は活発で元気な子でした。長男とよくけんかしましたが、仲のよい兄弟でした。ディズニーランドにいったときの写真です。小さな女の子が美保です」
モニターに次々と幼いころの江尻さんの写真が映し出されていく。
「私たちの家族は正月は初詣でに行き、ホテルで料理を食べます。おじいちゃんやおばあちゃん、親戚(しんせき)みんなで行っています。その後の家族4人の写真です」
「親にとってかけがえのない大切な娘でした。小さいころから犬が好きで、犬のトリミングをする人になりたいと小学生のときは言っていました。二子玉川の『いぬたま』にも行きました。その後、イヌアレルギーになったのでその道はあきらめたようでしたが」
裁判員らは次々移り変わる写真を真剣なまなざしで見つめている。
「高校のときはファミリーレストランでバイトし、接客が好きなようでした。卒業後は浅草の和菓子店で働いていました。これがその写真です。重い物を持って腰を痛めて、その後、耳かき店で働くようになりました」
「高校でバイトをしていたときに、『家を建てたい』と妻に話しているようでした。思春期で父との会話は少なかったですが、家では美保の声が聞こえる充実した日々を過ごしていました」
「父の日と私の誕生日に、お酒をプレゼントしてくれました。父の日は予定が合わなかったのですが、誕生日には部屋に入ってきて『おめでとう』と言ってくれました」
「私にとって、美保は、いるのが当たり前の存在でした。どこにでもある普通の家庭で、幸せに暮らしていました。ところが、8月3日、幸せな生活が壊されました」
「病院で見た美保は顔はむくんではれあがり、チューブがつながれていました。美保は額に小さいころできた小さな傷があるのですが、それしか確認できませんでした。目を閉じ、何の反応もない。覚悟して病院に行きましたが、ショックでたまりませんでした」
「刺されて痛かったのだろう、苦しかっただろう、かわいそう、どうしてこんなことができるのだろう。(事件翌日の)火曜日は私は休みでした。刃物から自分の命をかけて守ってやれたのにと思うと、悔しくて仕方ありません」
「主治医からは脳死で、助かっても植物状態、いつ助からなくなるか分からないと言われました。顔のむくみは元に戻らないとも言われました。娘の面影すら残っていませんでした。見舞いに行っても、表情は変わりませんでした」
「美保は21歳。成人して世の中に出たばかりでした。やりたいこともいっぱいあったと思います。お嫁にいって、孫の顔を見せてほしかった」
右から2番目の女性裁判員は下を向いたまま検察官の江尻さんの父親の供述調書の朗読に聞き入っている。
「妻はショックで精神的に不安定になりました。犯人が怖くて、暗いと恐怖が蘇り、一人でいられない状態です。妻(法廷内では実名)は病院にも、母の告別式にも行っていません」
「おばあちゃんも亡くなり、美保は植物状態。家庭はめちゃくちゃになり、『私がしっかりしないと』と思いますが、夜、涙がこぼれます」
「犯人は絶対に許せません。目の前で同じことをしてやりたい。殺すだけでなく、同じ方法で殺したい。でも、私にはどうすることもできないのです。極刑を望みます」
目をうるませていた右から3番目の女性裁判員が、目元をぬぐった。
続けて、検察官は江尻さんが亡くなったときの父親の供述調書を読み上げた。また、法廷の大型モニターに江尻さんの写真が映し出された。
検察官「大人になってからの写真です。入院中の美保の写真を撮ったものです」
法廷のモニターが消された。
「美保は別人のような顔で、手や顔を触って温かみを感じることができました。話したり、表情を変えたりできませんでしたが、このとき美保は生きていました」
「9月7日に美保は亡くなりました。美保と同じ年代の女の子を見ると、美保のことを思いだし涙が出てきます。妻は殺される恐怖で外出できません。一人で怖くて過ごせないのです。犯人を許すことはできません。極刑を望みます」
「また、犯人が謝罪や被害弁償をしたいということを聞きましたが断りました。受け入れて罪を軽くすることは嫌ですし、そういうことをしてほしくない」
右から2番目の女性裁判員はほおづえをつきながら聞いている。続けて検察官は江尻さんの兄の供述調書の読み上げを始めた。