第16回公判(2012.2.6)
(4)木嶋被告はヘルパー? 死亡男性の長男「介護の必要ないはず」
首都圏の連続殺人事件で練炭自殺に見せかけ男性3人を殺害したとして、殺人などの罪に問われた木嶋佳苗被告(37)に対する裁判員裁判。さいたま地裁で開かれた第16回公判は午後から証人尋問が始まった。
第16回公判では千葉県野田市の安藤建三さん=当時(80)=に対する殺人事件の審理が続いている。
審理が再開した直後、ほぼ満席となった傍聴席に対し、大熊一之裁判長が注意を呼びかけた。
裁判長「この事件では3人が亡くなり、被告人も無罪を主張している重大な審理です。傍聴席の皆さんもこのことをよく頭に入れて、傍聴するように」
「午前中の審理では、とても真剣に傍聴しているとは思えない言葉が聞こえました」
木嶋被告は平成21年5月15日午前、安藤さん宅で安藤さんに睡眠導入剤を飲ませて眠らせ、こんろを使って練炭に火をつけ、午後0時55分ごろに一酸化炭素中毒とやけどにより死亡させたとして起訴された。この事件で安藤さん宅は全焼している。
今年1月10日以降、これまでに東京都千代田区の会社員、大出嘉之さん=当時(41)=と東京都青梅市の会社員、寺田隆夫さん=当時(53)=の2人に対する殺害事件の審理が続けられてきた。
検察側の証人である安藤さんの長男が出廷、プライバシー保護のため、傍聴席と証言台の間にはついたてが設置された。
女性検察官が質問に立ち、経歴や人となりを尋ねると、長男はよどみなく応えていく。
検察官「お父さんのお仕事は?」
証人「印刷業や喫茶店、運送屋やトラック運転手などです」
検察官「いつまで仕事を続けていましたか」
証人「平成11年ごろまでです」
長男の証言によると、安藤さんの妻は病気を患い、平成10年ごろに死去。その後は安藤さんと長男は野田市内の自宅で2人暮らしを続けてきた。
長男は安藤さんの人柄を「前向きでプラス思考。好奇心が旺盛で、年齢よりも若く見える」と評し、「母の介護でも弱音を吐かず、70歳で始めたパソコンも1人で使いこなしていた」とエピソードを交えて証言した。
検察官「(安藤さんと長男の)2人の仲はどうでした」
証人「特別よいわけではありませんが、悪くもありません。それぞれの立場や生活を尊重していました」
弁護側が冒頭陳述で安藤さんが婚活サイトで「息子とは不仲だ」としていたことに反論。長男は「話すことがあまりなく、嫌っていたわけではない」と証言した。検察側は安藤さんが事件前、4回にわたって意識喪失に陥っていたことについて質問を始めた。
検察官「平成20年10月以降、自宅で安藤さんの様子を見に行ったことは?」
証人「あります。浦安のホテルで倒れました」
検察側によると、安藤さんは20年10月27日に浦安市内のホテルに木嶋被告と宿泊、意識を喪失。この後、木嶋被告は安藤さんの自宅から絵画を持ち出したとされる。
検察官「木嶋被告とお父さんとの関係についてあなたが知ったのは?」
証人「20年10月末です。『父が浦安のホテルで倒れ、病院に運ばれた』と木嶋被告から電話がありました」
検察官「お父さんはね、20年の6月、意識を失う4カ月前から木嶋被告と連絡を取っていたようですが」
証人「後になって警察から聞いて知りました」
検察官「木嶋被告はお父さんにとってどのような存在と聞いていましたか」
証人「『昼間にボランティアさせてもらっている』と木嶋被告や父が言っていました。1人で出かける際、不安なときに一緒に行くなど何か手伝ってもらっているんだろうな、と」
警察当局の捜査段階では、木嶋被告は安藤さんのヘルパーと称されていた。検察側が尋ねる。
検察官「介護のためですか」
証人「そうは思わない。話し相手を見つけたのだろうと。父には介護の必要はありません」
検察側は、木嶋被告が安藤さんのクレジットカードや銀行のキャッシュカードを使っていたことを指摘。安藤さんの長男は「警察に聞くまで知らなかった」「(私が)父に頼まれたことはない」と説明した。
安藤さんは20年10月28日に浦安のホテルで意識を失ったあと、12月26日にも電車内で意識を失った。弁護側は12月26日には、木嶋被告が安藤さんと東京・池袋に買い物に行き、疲れた安藤さんが先に帰ったと指摘している。
安藤さんが21年3月7日、3回目に意識を失ったことについて検察側は質問を続ける。
検察官「3月7日に搬送されたいきさつは?」
証人「前日の午後6時ごろに帰宅し様子を見に行ったところ、普段8畳間で生活しているのに、(隣の)4畳半の部屋にあるベッドの上でいびきをかいていた。反応があったので、翌朝まで様子を見よう、と」
「いつもと違い、揺すっても起きず、うめき声を出していた。いびきはいつもより異常に大きかった」
検察官「3月7日の朝はどうでした」
証人「4畳半の部屋のたたみにひざをついてベッドに顔を置いてうずくまっていました。上着が逆で、ふとんの上と服がぬれていたので、失禁したと思い、救急車を呼びました。自分では歩けないほどでした」
「午後になって意識は戻り、話を理解するようになり、入院はせず、帰宅しました」
長男は、ベッドは亡くなった母が介護を受けていた当時に使用しており、安藤さんは普段、8畳間のこたつに布団を敷き寝起きしていたと証言。
木嶋被告の表情はついたてに隠れ、うかがうことができない。