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(1)母親「経済的な損害賠償は不可能…私は被告を見放さない」

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の第16回公判が27日午前10時前、東京地裁(村山浩昭裁判長)で始まった。

今回の公判からは、注目の加藤被告本人の被告人質問が行われる予定だ。半年前の今年1月28日の初公判では起訴内容を認め「私にできるせめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と話した加藤被告。秋葉原の歩行者天国で無差別に通行人を殺傷するという理不尽極まりない惨劇を引き起こした理由が、ついに法廷で語られるときがやってきた。

これまでの15回にわたる公判では、重軽傷を負った被害者9人や目撃者ら計34人が検察側証人として出廷。「まるで戦場のようだった」「人生最悪の日だった」「死刑しかないと思う」などと語り、凄惨(せいさん)を極めた事件当時の状況が生々しく再現されてきた。

多数の証人尋問が行われることになったのは、弁護側が加藤被告や被害者、事件関係者などの供述調書の多くの部分を不同意としたためで、被害者の遺族が「傷口に塩を塗るような思いやりのない行為だ」と弁護側の法廷戦術を痛烈に批判する場面もあった。

法廷での加藤被告は時折、持参したノートにメモを書き記す以外は、終始無表情で視線を落としたままだ。ただ5月25日の第10回公判で、男性被害者の妻が「一つだけでも良いから、みなさんに良いことをしてほしい」と語りかけると、顔を紅潮させ、目に涙を浮かべるシーンもあった。

事件から丸2年となった6月8日の現場交差点では、遺族や関係者が献花台に花を手向け、被害者の冥福(めいふく)を祈る姿が見られた。「二度と同じ事件が起きないように…」。しかし、6月22日には、広島県の自動車工場で、従業員らが乗用車にはねられ、12人が死傷する事件が起き、元期間社員の容疑者は「秋葉原の事件のようにしてやろうと思った」と供述。加藤被告の引き起こした事件が、別の事件を誘発する事態に発展した。

加藤被告はなぜ、凶行に走ったのか。負の連鎖を断ち切るためにも、加藤被告の動機の解明は必要不可欠だ。果たして加藤被告は被告人質問で、闇に包まれた心の内をすべて明らかにするのだろうか。

法廷は、これまで同様、東京地裁最大の広さを誇る104号法廷だ。傍聴人の入廷が終わり、午前9時57分、加藤被告が向かって左手の扉から法廷に姿を現した。いつものように黒のスーツに白いワイシャツ姿で、頭は丸坊主で眼鏡をかけ、無表情。やはりいつものように傍聴席に向かって一礼し、向かって左手に位置する弁護人席の前の長いすに腰を下ろした。

裁判長「それでは、開廷します」

村山裁判長は、この日の予定として、7月8、9の両日に青森県で行われた加藤被告の両親に対する証人尋問の結果を要旨の告知として朗読し、その後、弁護人の被告人質問を行うことを告げた。

向かって右側に位置する女性裁判官が口を開く。

裁判官「それでは、7月8日に行った被告人の母親に対する証人尋問の要旨について述べます」

「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」

2人の子供が生まれ、マイホームも完成。ここまでの加藤家は平和そのものだが、その直後から、夫婦仲が悪化していったようだ。女性裁判官が、抑揚のない声で朗読を続ける。

裁判官「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」

「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」

「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」

「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」

子供たちにきつく当たる母親を、父親は静観していたようだ。

裁判官「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」

要旨の告知は、母親が加藤被告をどう見ていたかに移る。

裁判官「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」

「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」

母親は加藤被告に対し、学歴と安定した職業を求めていたが、父親は加藤被告の進路について何も言わなかったという。

加藤被告が中学生になると夫婦仲はさらに悪化。母親は加藤被告にイライラをぶつけたという。

裁判官「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」

母親は学歴を求める一方で、加藤被告の将来の夢や恋愛を否定した。

裁判官「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」

その後、加藤被告は母親の望む通り、青森高校に進学したが、成績が低下。友人と過ごすことが多くなり、母親との接触は少なくなっていった。

高校卒業後、加藤被告は自動車関係の短大に進学した。

裁判官「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」

短大卒業後、加藤被告は仙台で一人暮らしを始めた。母親も時々訪れたというが、会うことはあまりなかったという。そんな加藤被告から平成18年8月に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという。

裁判官「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」

その後、実家に戻ってきた加藤被告。母親は疲れていたようなので、具体的には何も尋ねなかったという。

裁判官「その後、被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした」

そして母親は、19年5月に夫と別居。加藤被告もまた一人暮らしを始め、敷金や礼金、車の頭金50万円なども母親が預金から捻出(ねんしゅつ)してあげたという。

裁判官「罪滅ぼしのつもりでした」

そして母親は19年8月に加藤被告と会った後、音信不通となり、20年6月8日にラジオで加藤被告の凶行を知ったという。

裁判官「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」

⇒(2)「つぐないのため、すべて話す」 「掲示板の荒らしやめさせる」ことが動機