第6回公判(2010.11.1)

 

(2)元気かなぁピヨ吉…「極刑に値するほど悪質と言えず」が結論

江尻美保さん

 東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=を殺害したとして殺人罪などに問われ、無期懲役を言い渡された元会社員、林貢二被告(42)。『無期懲役』を速報するため、法廷を駆け出す報道陣に、傍聴席にはせわしない雰囲気が広がった。林被告は身じろぎもせず、証言台の前に立ちつくす。若園敦雄裁判長は抑揚を押さえた声で、判決理由の読み上げを始めた。

裁判長「それでは、罪となるべき事実について読み上げます」

「被告人は客として通っていた耳かき店の従業員である江尻美保さんを殺害する目的で、平成21年8月3日午前8時52分ころ、東京都港区西新橋の江尻美保さん方に無施錠の玄関から侵入し、そのころ…」

 若園裁判長は、林被告が江尻さんと、祖母の鈴木さんを殺害した状況と、林被告が事件当時、違法に刃物を所持した事実が認定されたことを説明した。

裁判長「公判では、これらの事実について、証明は十分であると認めました。さらに、被告人の行為について、刑法など適用される法令に基づき、『無期懲役』の判決を下しました」

「次に、判決理由について読み上げますが、多少長くなるので、被告人はいすを引いて、座って聞いてください」

 林被告はわずかにうなづくと、いすにゆっくりと座り込み、深呼吸した。その表情は伺えないが、ひざに両手をつき、深くうつむいている。

裁判長「本件は、耳かき店の従業員である江尻美保さんに対して恋愛に近い感情を抱き、常連客として店に通い詰めていた被告人が、江尻美保さんから来店を拒否されたことなどから同人に対して殺意を抱き、同人を殺害する目的で同人の自宅に侵入したが、同人の祖母である鈴木芳江さんに見つかるや、江尻美保さん殺害の目的を遂げるため、とっさに鈴木芳江さんも殺害しようと決意し、その頸部(けいぶ)などをあらかじめ用意していた果物ナイフで多数回突き刺すなどし、約1カ月後に死亡させた事案である」

 静まりかえった法廷。傍聴席に座った美保さんと鈴木さんの親族の女性がすすり泣く声が、かすかに広がる。若園裁判長は判決文の読み上げを続ける。

裁判長「何の落ち度もない被害者2人を身勝手な動機から連続して惨殺した被告人の刑事責任は極めて重大であり、本件で有期懲役刑を選択する余地はなく、死刑か無期懲役かの選択が問われている」

 林被告は身じろぎもせず、判決に聞き入っている。右から3番目に座る女性裁判員は厳しい表情で、林被告に視線を送っている。

裁判長「当合議体は、いわゆる『永山事件に関する最高裁判決』に基づき、同判決の列挙する量刑因子を本件につき具体的かつ総合的に検討した上で、量刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に当たるかどうかを議論した」

「本件犯行態様の残虐性、結果の重大性は言うまでもなく、特に被告人が鈴木芳江さんを殺害した後、自分の行為を直視して思いとどまることもせず2階にあがり、各部屋を確認し、最終的に江尻美保さん殺害行為に及んでいることについては、被告人の冷酷な人格が現れていて許し難いものがある」

 林被告はかすかに首を上下させると、一瞬、裁判長の方に顔を向けた。その後、再びうつむくと、身を固めていた。

裁判長「また、本件の審理及び評議を通じて、当合議体は本件により被害者2人が受けた苦しみや恐怖は、どれほどであったであろうか、未だ21歳と若く、充実した人生を送る権利を突如として奪われた江尻美保さんの悔しさはどれほどであったであろうか、まったく無関係の被告人に訳も分からないままむごたらしい殺され方をした鈴木芳江さんの驚愕(きょうがく)や無念さはどれほどであったろうかなどと、被害者2名の気持ちについて、思いをめぐらせた」

「さらに、鈴木芳江さんの娘であり、江尻美保さんの母親が、母と娘を同時になくし、現場に居合わせたことなどによる精神的ショックで、事件から1年以上が経過した現在でも、家の外に出ることすら困難な状態であることや、被告人が犯行場所として江尻美保さん宅を選んだことから、遺族がこれまでの思い出が詰まった自宅に住むことができなくなってしまったことなどについても検討した」

「意見陳述した遺族らがこぞって被告人に対する極刑を望んでいるのは、このような本件の極めて重大な結果に照らせばまったく当然であり、当合議体もその思いには深く動かされた。また、上記のような事情で江尻美保さんの母親は、法廷に来て意見を述べることもできなかった。当合議体は、同人の苦しみにも思いをいたした。その上で、本件で死刑を選択する余地がないのか徹底的に議論したが、結局、本件が極刑がやむを得ないと認められる場合に当たるとの結論には至らなかった」

 右端に座る男性裁判員は硬い表情のまま、厳しい視線を林被告に送る。

裁判長「まず、犯行に至る経緯及び動機について。関係証拠によれば、本件犯行にいたる経緯として、次のような事実が認められる」

 若園裁判長は、林被告が耳かき店に通うようになった経緯や、美保さんを連続して指名し、通いつめるようになったと説明する。

裁判長「(平成20年)7月、江尻美保さんを駅で待ち伏せしていたと疑われていたことから、1週間ほど店に通うのをやめたことがあったが、同人がそのブログに『元気かなぁピヨ吉(美保さんと林被告しか知らない人形の名前)』と書き込んだのを見て、再び店に通うようになり、その後金曜日の夜にも定期的に通うなど、日数や時間がさらに増え、長いときには1日に7、8時間店で過ごすようになった」

 林被告は、江尻さんから「上客」として扱われ、メールアドレスを教えてもらったり、プライベートな話をされたりしたことで、「自分が特別な客」と思うようになったという。

裁判長「理性では客と従業員との関係とわかりつつも、同人(美保さん)に対する好意を募らせ、恋愛に近い感情を抱くようになっていた。他方、江尻美保さんは被告人を上客として扱っていたものの、それ以上の特別な感情は有しておらず、平成21年4月初旬、被告人から店外での食事に誘われたことなどを契機として、被告人に対する対応を考えるようになり、同年4月5日には、店長と相談して、出入り禁止にすることにした」

 若園裁判長は、いらだった林被告が店を去った後、喧嘩(けんか)をしてもすぐに仲直りできたこれまでの経緯から、謝罪をすれば再び店に通えると思っていたと指摘する。しかし、美保さんの対応は厳しいものだった。

裁判長「数日してメールを送ったところ、江尻美保さんから『もう無理です。もう店にこないと言ったじゃないですか』という旨の返信を受けて、同人から来店を拒否された理由を理解できずに困惑した」

「被告人は、その理由を訪ねるために店の外で江尻美保さんに声をかけた際にも『もう無理です』と言われて逃げられるなどしたため、『何でだろう』などと思い悩むようになり、同年(21年)6月ころには抑鬱状態に陥っていった」

 その後、林被告は美保さんの自宅前で待ち伏せしたり、声をかけたりしたが、美保さんはストーカーと感じ、恐れて逃げ、メールにも応じなかった。

裁判長「被告人は、もう店に行って江尻美保さんと楽しい時間を過ごすことができないと絶望し、同人が自分を拒絶する理由が分からず、ただ自分を拒絶する同人に対して、殺してやりたいと思うほど怒りや憎しみを感じるようになり、抑鬱状態をさらに悪化させて、同人に対する怒りや憎しみにとらわれていき、ついに本件犯行に及んだ」

裁判長「以上のような経緯に照らすと、本件は、誠に身勝手で短絡的な動機に基づく犯行といわなければならないが、他方、当時の被告人は江尻美保さんに対して恋愛に近い強い好意の感情を抱いていたからこそ、同人から来店を拒絶されたことに困惑し、抑鬱状態に陥るほど真剣に思い悩み、もう同人に会えないとの思いから絶望感を抱き、抑鬱状態をさらに悪化させ、結局、同人に対する強い愛情が怒りや憎しみに変化してしまったことから、殺害を決意するに至ったと認められる」

 若園裁判長は、「相手が自分の意に沿わなくなったから、その相手を殺害した事件である」とした検察官の要約を「不適当である」と指摘。さらに、店に1年以上通い詰めた林被告と美保さんが「表面上」良好な関係だったことが、林被告の心理状態に少なからず影響していたとした。

裁判長「これらのことからすると、被告人が本件犯行に至った経緯や江尻美保さん殺害に関する動機は、極刑に値するほど悪質なものとまではいえない」

 林被告は両膝に手をつき、俯いたまま。6人の裁判員は、いずれも硬い表情を崩さず、判決文の読み上げに聞き入っている。若園裁判長はさらに、林被告が鈴木芳江さんを殺害した経緯が『偶発的で計画性がなかった』点について説明を始めた。

裁判長「確かに、被告人がペティナイフ、果物ナイフのほか、ハンマーを持参したことは、江尻美保さんに対する殺害の意図がそれだけ強固であり、障害が生じた場合にこれを排除するつもりであったことをうかがわせるものということができる」

「しかし、被告人が具体的な障害として、江尻美保さんの家族のことを考えたことを伺わせる証拠はない」

「また、被告人が鈴木芳江さんを殺害したのは、同人を黙らせて、江尻美保さん殺害の目的を遂げるためであったとしか考えられないところ、被告人は、鈴木芳江さんの頸部などを少なくとも16回突き刺すなどしている」

⇒(3)「こんなのやだ」「納得できない」…判決後、遺族は法廷で泣き叫んだ