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(2)「妹を引きずった時、血の道ができている−その場面が思い浮かびます」

秋葉康弘裁判長は、勇貴被告に、犯行当時の記憶を1つずつ確認していく。証言台に座った勇貴被告は、正面の裁判長を見て、顔を上げたままだ。質問を聞き返したり、答えに困って沈黙したりする時も、微動だにしない勇貴被告は、どこか人ごとのような口調で答え続ける。

裁判長「前に法廷で弁護人、検察官、我々(裁判官)があなたに聞いたとき、あなたは『シーンを覚えているような感じ』と話していますが」

勇貴被告「そうですね。そう言われてみると、そうかもしれません」

裁判長「あなたは今日も、こんな場面を記憶していると述べた。そういう記憶と『木刀で殴った感じがある』というそれ(記憶)とは、頭の中で違ったものとして残っているのですか」

勇貴被告「そうですね。違ったもの…。難しい表現ですが、おっしゃる通りだと思います」

裁判長「亜澄さんを木刀で殴ったという自分が、体験したこととして記憶にはないのですか」

勇貴被告「体験したという記憶ではありません」

裁判長「あなたとしては、どういうふうに感じていますか?」

勇貴被告「そうですね。とても難しい質問ですが…。つまり、ぼくが木刀で妹を殴りつけた、そのような感じでしょうか」

裁判長「それは記憶とは違うのですか」

勇貴被告「記憶と言っていいのか、少し疑問が残ります」

質問を聞いた上できちんと答えを返しているように見える勇貴被告だが、その言い回しには一定のパターンがある。『そうですね』『記憶と言っていいのか、少し疑問が残りますが』といった言い回しが多用され、質問と噛み合わないこともしばしばだ。こうした答えが勇貴被告の精神状態を判断するカギになると考えているのか、裁判長は注意深く質問を重ねていく。

裁判長「うーん。その場面というのは、あなたは思い返すことができますか?」

勇貴被告「いいえ。できません」

裁判長「ではどうして、亜澄さんを木刀で殴ったような気がするのですか」

勇貴被告「考えることはできます。ですから、そのように申し上げました」

裁判長「どういうふうに考えたのですか」

勇貴被告「どういうふうに…? すみません。表現が思いつきません」

裁判長「この日、亜澄さんと交わした会話で覚えていることはありますか?」

勇貴被告「全くありません」

昨年8月に行われた第2回公判での被告人質問の資料だろうか。机に置かれた紙を見ながら、裁判長は手振りを交えて質問を続ける。

裁判長「亜澄さんから女優を目指しているんだという話を聞いた記憶はありますか」

勇貴被告「記憶といっていいか疑問が残りますが、重々承知しています」

裁判長「承知しているとは?」

勇貴被告「頭の中に情報が残っているといった感じでしょうか」

裁判長「亜澄さんから(『女優を目指す』と)言われた場面は覚えていないが、あなたの頭の中にはそういうことを言われたという…認識が残っているということでしょうか」

勇貴被告「すみません。もう一度お願いします」

裁判長「『情報が残っている』というのがわからないので、あなたの言葉で説明してもらえますか」

勇貴被告「頭の片隅に情報が残っているという表現でよろしいでしょうか」

裁判長「記憶というのは、直接体験したことか、人から聞いたり本を呼んだりしてとどまっているのが普通ですが、どうしてその情報を得たかわかりますか」

勇貴被告「いいえ。わかりません」

裁判長「『勇くんが歯医者になるのは、パパとママの真似じゃないか』と言われた記憶はありますか」

勇貴被告「以前から、何度もそのことは言われていました」

裁判長「この日言われた記憶は?」

勇貴被告「いいえ。ありません」

裁判長「それより以前に言われた記憶は?」

勇貴被告「はい。あります」

冒頭陳述で描かれた犯行の様子について、裁判長は一つずつ確認していくが、勇貴被告の記憶はやはり断片的なようだ。

裁判長「亜澄さんの首をタオルで絞めた記憶はありますか」

勇貴被告「絞めたという記憶よりは、妹が舌を出して…舌というのはベロです。そして、下を向いている情景…首には青っぽいものがありました」

裁判長「あなたが何をしていたかは記憶していますか?」

勇貴被告「記憶といっていいかわかりませんが、おそらく首を絞めていたのでしょう」

裁判長「実感を持って記憶があるのではない?」

勇貴被告「そうですね」

裁判長「人ごとのように見ている自分を思い起こせる?」

勇貴被告「思い起こせるという表現でいいのかわかりませんが、脳裏に焼き付いています」

裁判長「脳裏に焼き付いているのは、妹さんの状態ですよね。あなたが何をしていたかは?」

勇貴被告「いいえ。それは焼き付いておりません」

裁判長「その(首を絞めていた)場所はどこかわかりますか」

勇貴被告「いいえ、わかりません」

裁判長「亜澄さんを風呂場まで移動させたことになっているが、記憶に残っていることはありますか?」

勇貴被告「はい。記憶と言っていいのか疑問が残りますが、バンザイをさせて、ぼくが手をつかみ、妹の体を…そうですね、引くような感じ。そのようなシーンが思い浮かびます」

20代初めの若者とは思えない馬鹿丁寧な口調で答え続ける勇貴被告。現実的でないこの口調も手伝って、犯行の様子はどこか人ごとのように聞こえる。

裁判長「あなたは何をしようとしたの?」

勇貴被告「記憶にありません」

裁判長「先ほど、風呂場のデジタル時計を見た記憶があると言っていましたが、他に風呂場のことで記憶していることはありますか」

勇貴被告「そうですね。ちょっと思い浮かびません」

裁判長「亜澄さんを浴槽に沈めた記憶は?」

勇貴被告「沈めた、ではありませんが、胸ぐらをつかんで引っ張り上げる、そのような情景が思い浮かびます」

裁判長「何のためにそれをしたか記憶がありますか」

勇貴被告「記憶がありません」

裁判長「家の中の血を拭いた記憶は?」

勇貴被告「そうですね。記憶と言っていいのか疑問が残りますが、あります」

裁判長「どうして記憶と言っていいのか疑問が残るのですか」

勇貴被告「ちょっと表現が思い浮かびません」

勇貴被告の答えがパターン化されているためか、どこかで聞いたようなやりとりが続く。弁護人と検察官は、勇貴被告の答えをメモしながら、黙って下を向いている。

裁判長「血を拭いている自分が頭の中で見えますか?」

勇貴被告「いいえ。見えません」

裁判長「血を拭いたというのは、どういうことをして頭の中にあるのですか」

勇貴被告「ちょっと表現が思い浮かびません」

裁判長「あなたの家の中に血が落ちている情景は浮かびますか?」

勇貴被告「先ほど申し上げた、引きずった時、血の道ができている、そういった場面が思い浮かびます」

裁判長が次の質問を考え、沈黙する。証言台にまっすぐ腰掛けたまま動かない勇貴被告の背中で、シャツのえりが、蛍光灯に照らされて妙に白く見える。

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