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(6)「無期判決、結論として誤っていない」

判決は、いよいよ死刑を回避した理由について言及していった。

裁判長「犯行は、幼い児童2人、それも近所の顔見知りの子とわが子を、1カ月と少しの間に連続して殺害した事件で結果は重大。被害者には一片の落ち度もなく、鈴香被告を友達の母として、母そのものとして信頼し、慕っていた。それなのに手をかけるという極めて凶暴かつ卑劣な犯行であることは論をまたない」

「刑事責任が誠に重大であることは明らか。死刑の選択も考慮に入れて量刑を検討する必要がある」

判決は、まず刑事責任の重大さについて説明を始めた。

裁判長「豪憲君事件を犯した動機や目的は、先に犯した彩香ちゃん殺害事件の犯人として自分が疑われるのを避けるためと認められる」

「自分の保身のためなら、他人の生命を奪うのも躊躇(ちゅうちょ)しないという、誠に自己中心的で非人間的な犯行で、経緯や動機に酌量の余地を見いだすことはできない」

「愛情込めて育ててきたわが子を、このような形で奪われた豪憲君の両親の悲嘆、悲しみ、苦しみも筆舌に尽くしがたい」

高裁で新たに認定した豪憲君事件の動機などをもとに犯行の卑劣さを語る裁判長。彩香ちゃん事件についてはどうか。

裁判長「親として不適切な養育をしてきた揚げ句、自分の苦境の原因が何の罪もないわが子であるとの思いにとらわれ、彩香ちゃんの些細(ささい)な言動にいらだちを爆発させ、『彩香ちゃんにいなくなってもらいたい』との思いから殺害を思い立った」

「最後まで慕っていた母親に裏切られ、死の底に突き落とされた彩香ちゃんの無念は計り知れない」

「ただただ哀れである」

命を奪われた2人の子供たちの無念を、判決は言葉を尽くして表現していく。さらに、鈴香被告の事件後の対応にも触れた。

裁判長「被告は、被害児童2人や豪憲君の両親らに対する謝罪と反省は述べているが、不十分であることも否定できない。豪憲君側に対する慰謝の措置も講じられていない」

では、どこに酌量の余地を見いだしたのか。判決は彩香ちゃん事件で鈴香被告に有利な事情の説明を始めた。

裁判長「彩香ちゃん殺害は、閉塞(へいそく)感などから場当たり的、短絡的に犯したもので、幾分考慮の余地があるといえなくもない」

「彩香ちゃんの養育について悩んでいたことも事実。殺害当日の行動をみても、普段虐待を続けていたとまでは到底いえず、常に彩香ちゃんの死を強く願っていたともいえない」

続いて、豪憲君事件についての説明を行った。

裁判長「誠に身勝手で、酌量の余地のみじんもないが、社会や地域住民らに対する過激な攻撃性、反感が爆発した無差別殺人型の児童虐待とみることはできない」

「嫉妬心や憎たらしいという気持ちから、過激な攻撃性や反感が表れたとみるのも相当ではない」

「犯行も場当たり的な側面が強く、用意周到な計画的犯行と見ることはできない」

消極的な表現ながらも酌量の余地があると述べていく裁判長。さらに、鈴香被告の人格を分析した。

裁判長「鈴香被告の反社会的で凶暴な犯罪傾向が将来全く抜けにくいものとまではいえない」

「反省は十分深まっていないが、それは多分に能力的な面が影響している。反省へ向けた意欲が認められないではない」

こうした説明を基に、判決はまず弁護側の控訴棄却の理由を述べた。

裁判長「弁護人の控訴理由のように、鈴香被告を有期懲役刑に処さなかった1審判決の量刑が重すぎて不当であるとは到底いえない」

では、検察側の控訴を棄却した理由はどこにあるのか。

裁判長「本件犯行の罪質、動機は、いずれも利欲的目的を伴わない。犯行の態様についてもこれまでの最高裁で死刑相当とされた事案と対比すると、著しく執拗、残虐にあたるとはいえない」

「被告人を極刑に処することなく無期懲役に処した1審判決の量刑判断が、結論として誤っているとまでいえない」

身動きせず、うつむきながら判決を聞き入っていた鈴香被告。早口で判決文を読み上げていた裁判長が急に穏やかな口調になり、鈴香被告へ問いかけた。

裁判長「今述べたのが、この事件についての判決です。内容は分かりましたか。結論として、1審の主文は間違っていないということで、控訴棄却ということです」

小さくうなずく鈴香被告。

午後2時半。裁判長がすべてを語り終わると、鈴香被告はすっと立ち上がり、裁判官席に向かって一礼。そして、今度は傍聴席に向かって体を向けた。

視線の先にいるのは、1審初公判からすべての公判を傍聴してきた豪憲君の父、勝弘さんと母、真智子さん。右手を左手の甲に重ねた鈴香被告は、無言のまま、深く頭を下げた。

静まりかえる傍聴席。数秒の後、頭を上げた鈴香被告は弁護士席の前へ。鈴香被告の母親が傍聴席から視線を投げかけたが、鈴香被告は顔を下に向けたまま、法廷から姿を消した。

鈴香被告が去った法廷内。傍聴席の勝弘さんは、うなだれながら目を閉じ、真智子さんは胸に掲げた豪憲君の遺影にもたれかり、嗚咽をこらえていた。

⇒その後