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(14)「じゃあね」と改札で手を振る娘…父に焼き付く最後の姿

続いて検察官は東城瑠理香さんの父親の供述調書の読み上げを始める。供述調書では、瑠理香さんが生まれてから、理不尽な犯行で命を落とすまでの23年間が詳細に語られている。

検察官「私には3人の子供がいますが、名前はすべて私が考えました。すべて『理』の字が真ん中に入り、少し変えただけの名前にしました。3人いれば小さな社会ができるため、子供にとってもいいと思っていました。3人は等しくかわいく大事な娘でした」

法廷内の大型モニターに、写真が映し出された。前列左に瑠理香さんの姉、隣に父親、後列右に瑠理香さんの妹、後列左に瑠理香さんが横を向いてちゃめっ気たっぷりに笑っている写真だ。

検察官「留学先のカナダから瑠理香が帰国した後に撮影したものです。3年くらい前の写真ですが、昔のように思えます」

供述調書では、瑠理香さんが上京した経緯が語られていく。

検察官「平成15年4月、瑠理香は女子大の英文科に入学しました。長女が東京の専門学校に通い、3女も上京したので娘3人が全員、東京に出ました。3人は錦糸町のマンションで一緒に生活を始めました。瑠理香はテレビドラマの影響などで、『東京に行きたい』と言っており喜んでいました。娘3人で住むので安心していました」

瑠理香さんが最初に住んだのはセキュリティーを考えて、オートロック式で高層階の7階の部屋だったという。このころから瑠理香さんは留学を考えていたという。

検察官「瑠理香から『留学するので金を出してほしい』と言われましたが、私も妻も高卒で、子供も大学に行ったのは瑠理香だけだったので、『自分の力でがんばれ』と言いました」

留学の夢を実現するため、瑠理香さんは当時の住居に近いコーヒーショップのアルバイト店員として働きだす。大学3年だった平成17年、瑠理香さんは自動車運転免許を取得したが、この際も両親が援助したことはなかったという。

法廷内の大型モニターに瑠理香さんの写真が映し出される。横浜・山下公園で撮られたものだ。

検察官「海のない長野県で育ったためか、瑠理香は海が好きでした。1度2人で横浜の街を散歩して、学校の話や友人の話をしました」

父親を嫌いがちな年ごろであるにもかかわらず、仲むつまじい親子だったことが伝わってくる。モニターには続いて東京・丸の内のオフィス街に淡いピンクのコートを着た瑠理香さんがほほ笑む写真が映し出された。

検察官「ビルを見て歩くのが好きでした。新しいビルのデザインを見るのをとても喜んでいました」

錦糸町のマンションは家賃約16万円だったが、当時、父親の収入は約60万円で長野市内の自宅ローンを払っても余裕があったという。が、18年2月、父親が契約先の会社が事業に失敗。収入がなくなり、家賃は瑠理香さんや3女がアルバイトで支払うことになった。父親はこの年の5月に、妻と離婚をすることになったという。

検察官「長女と3女は離婚した後に母方の姓を名乗りましたが、瑠理香だけは反対しても「東城」の姓を名乗るといって聞きませんでした。その後、瑠理香と長女は東城家代々の墓参りをしたいといったので車ででかけました。車中では子供のころと少しも変わりなく過ごしました」

瑠理香さんが、父親のことを慕っていたことがうかがわれる。そして調書は、事件現場となった江東区のマンションに引っ越す場面へと移る。

検察官「20年2月ごろ、長女から『江東区の新築マンションに引っ越すから手伝って』と言われました。しかし、私は○○(商業施設の実名)で記念撮影する仕事についており、土曜日で忙しかったことから休めず、『2人で引っ越してくれ』と言いました」

マンションに引っ越した瑠理香さん。調書は、父親が最後に会ったときの内容に。

検察官「3月11日の私の誕生日を祝ってくれるというので、15日に瑠理香と長女と3人で会いました。横浜のランドマークタワーや赤れんが倉庫を見物し、カラオケに行きました。元町中華街の改札で見送ったのが最後です。瑠理香は手を振っていましたが、これで最後になると思わなかったので、瑠理香の最後の言葉は覚えていません。『メールする』か『じゃあね』だったと思います」

これが父親が見た最後の瑠理香さんの姿だった。その後、3月28日に地元長野市が撮影されたポスターについて父親が「JRのポスター見た? 懐かしいね」と瑠理香さんにメールを送信し、瑠理香さんから「ローカルネタだね。しぶーい」と返信があったのが最後の“会話”だったという。

検察官「瑠理香は芯が強くしっかりした大人になった。瑠理香は何も心配ない。遠くから見守るだけだと思っていました」

大人の女性になり、親の手がかからなくなった…と思ったころに事件は起きてしまった。父親は長女からの電話で知らされた。

検察官「4月18日午後9時30分ごろ、長女から携帯電話に電話がありました。『瑠理香がいなくなった。血痕があり、荒らされている』との内容でした。長女はパニックになることなく落ち着いていました。この時はまさか瑠理香が死ぬとは思っていませんでした。帰ってくると信じていました」

父親は午後11時ごろに現場のマンションに到着。1階の管理人室で防犯カメラの映像を警察官と見たという。そこには居住する9階に上がる瑠理香さんの映像が鮮明に写っていた。

検察官「それは間違いなく瑠理香でした。警察官は(画像が鮮明なので)『だれが連れ去ったかすぐ分かる』と言ってくれました」

だが、いくらビデオを見ても瑠理香さんがマンションの外に出る姿はなかった。

⇒(15)「私の常識では死刑以外ありえない」…父の悲しみと怒り