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(7)「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」

 犯行の計画性という点で、星島貴徳被告に特に有利な事情があるとはいえない。だが、死刑を選択するか否かという場面で、星島被告の刑事責任を特に重くするものとも評価できない。

 そうすると、諸事情に基づく罪責の重大性や一般予防の観点を十分に考慮したとしても、第1に殺人は執拗(しつよう)なものではなく、冷酷ではあるが残虐極まりないとまではいえない。さらに、死刑選択の当否では、死体損壊、死体遺棄の状況の悪質さを殺害状況の悪質さに比べて過大に評価することはできないと考えるべきである。

 第2に星島被告は東城瑠理香さんを拉致した後も、2時間以上、当初意図していた強姦はもとより、わいせつ行為にすら至らなかった。

 第3に、殺人、死体損壊、死体遺棄には計画性は認められず、殺害が偶発的であったとは言い難いとしても、計画性の有無で非難の程度に差異があるのは当然である。

 罪刑均衡の観点から量刑の傾向をも踏まえて検討した場合、死刑の選択も考慮すべきだが、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択すべき事案とまではいえない。

生活歴、逮捕後の態度も加味

 星島被告の生活歴、逮捕後の態度などの主観的事情についても検討を加える。

 星島被告は逮捕後、警察官の言葉に心を動かされ、罪悪感を募らせて、各犯行の詳細を自供している。その後も一貫して事実を認め、公判でも、自己の行った犯罪に向き合い、各犯行の詳細を述べるほか、東城さんの冥福を祈るなど、自らの罪を悔い、謝罪の態度を示している。

 星島被告は前科前歴がなく、職に就いて一定の収入を得るなど犯罪とは無縁の生活を送ってきている。幼少時に負った大きなやけどのあとにコンプレックスを感じて生きてきたことには同情すべき点もみられ、家族との間の関係には変化の兆しもみられる。

 こうした点は、過大に強調することは適当ではないが、特に酌量すべき事情がない限りは死刑を選択すべきとまではいえない以上、それ相応の意味を持つというべきである。

「命の尊さと罪責の重さ考えさせる」

 検察官は星島被告には凶悪犯罪に対する根深い犯罪性向があり、もはや矯正不可能であると主張する。

 確かに、住居侵入、わいせつ略取については、計画的に犯行を遂行している。殺人、死体損壊、死体遺棄については、東城さんの殺害を決意した後は、その時点で何が最も有効なことであるのかを常に冷静に計算している。その上で、犯行を冷徹かつ着実、迅速に実行し、犯行後も徹底的に隠蔽(いんぺい)し、平然と事件との無関係を装って行動している。

 このような一連の態度からは、相応の犯罪的傾向がうかがわれる。

 しかし、住居侵入、わいせつ略取の計画は、星島被告の現実離れした妄想の所産であり、そもそもがずさんなものである。陰茎が勃起しなかった事情はあるが、東城さんへのわいせつ行為にすら及んでいない。また、逮捕後は謝罪の態度を示していることなどから、矯正の可能性がいまだ残されているというべきである。

 本件は死刑の選択も考慮すべき事案ではあるが、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択すべき事案とまではいうことはできない。星島被告にとって有利に斟酌(しんしゃく)すべき主観的な事情も考慮すれば、死刑をもって臨むのは重きにすぎるというべきである。

 したがって、星島被告に対しては、無期懲役刑に処することとする。その終生の間、生命の尊さと自己の罪責の重さを真摯(しんし)に考えさせるとともに、東城さんの冥福を祈らせ、贖罪(しょくざい)にあたらせることが相当と判断した。

⇒その後