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(9)逮捕知った母親「信じられない」…思いもよらなかった火傷の逆恨み

星島貴徳被告の父親の供述調書に続き、弁護人は母親の供述調書を読み上げていく。前日の19日の公判で両親について殺したいほど憎んでいるのでなく、「殺す」と明言した星島被告は、幼少期の思い出から語っている両親の調書をどう感じているのだろうか。

弁護人「続いて7月8日付の星島被告の母親の調書を読み上げます」

「私たち夫婦は長男の誕生を喜びました。貴徳は3000グラム少々で健康に生まれ、とくに異常もありませんでした」

母親の供述調書では、出生から現在までさかのぼる形式を取っており、父親の供述調書と重複している。出生に続いて1歳11カ月の時にネコを追いかけて風呂場でやけどをした話に移る。

弁護人「やっと歩けるようになったのですが、やけどによりまたハイハイに戻ってしまいました。貴徳が2歳半のころ、貴徳を海に連れて行きました。砂浜におろすと歩いて波打ち際に行き、歩けるようになったと喜びました」

星島被告はその後、広島県福山市の保育園と岡山県倉敷市の幼稚園に通うが、同年代の子供たちと普通に遊んでいたという。

弁護人「小学校時代の貴徳ですが、学校から帰るとすぐに宿題をしてからファミコンをしたり、また学校に戻って友達と遊んだりしていました」

これまでの公判で周囲の人を見下し、自分を特別な人間だと思うことで自分の立場を守ってきたと証言していた星島被告。小学校時代にはそのような素振りはなかったようだ。

弁護人「6年生の時に足の手術をしました。両足のももにケロイド状に(やけどの跡が)1周しており、輪のようになっていたため成長に伴って手術が必要だったためです。貴徳は嫌がらずにケロイドを取り除く手術をしました」

調書では友人にやけどの跡をからかわれたという中学時代に移っていく。

弁護人「昭和62年4月に中学校に入りました。8月に転校し、ある日、貴徳は同級生にズボンを下ろされ『やけどっこ』とからかわれました。私は貴徳に『つらかったね』と言いました」

「中学に入ってからはやけどの跡を嫌がるようになり、プールの授業は先生に言って見学にしてもらうようにしました」

公判中はうつむき気味だった星島被告。両親の調書を読み上げる際には、親の愛情を感じ取ったのか、さらに深くうつむいている。

弁護人「中学校の時に貴徳から『母さん、どうしてやけどしたの?』と尋ねられたことがありました。説明をすると『そうか』と聞いてそれ以上、何も言いませんでした」

調書では、星島被告が中学時代に将棋クラブに入っていたこと、成績は真ん中でトラブルもなかったこと、友人はいたが親友と呼べる友人までいたかは把握していなかったことなどが述べられる。

弁護人「高校には自転車で30分くらいのところに通いました。友達を家に連れてくることはありませんでした。中学、高校時代にエロ本を見つけたこともありませんでした。テレビゲームもファイナルファンタジーやドラゴンクエストのようなゲームでした」

高校2年の時、星島被告は足の2度目の手術をする。やはりケロイドを取り除くもので、尻から皮膚を移植した。

弁護人「夏休みに1カ月半入院しましたが、担任の先生と同級生が見舞いに来てくれて、貴徳は1人ではないと思いました」

調書では、続いて母親からみた星島被告の性格について述べられる。

弁護人「性格は優しいと思います。夕食の準備をしていると皿を並べてくれたり、1度だけですが母の日に鉢植えの青い花をくれました。高校の文化祭ではチケットをくれて『これでケーキが食べられる』と渡してくれました。わがままに感じたことも残酷だとも思いませんでした」

調書では、父親のものと同様、この後、就職して東京に出た星島被告と会ったのは2回だったことがつづられている。そして星島被告から「もう会うことはない」と電話があったことなどだ。そして逮捕されたことについての思いが最後に語られる。

弁護人「インターネットのニュースで逮捕を知って信じられない思いでした。そして、心の中で(両親に対し)やけどへの逆恨みを抱いていたと聞かされ、びっくりしました。やけどで恨んでいるとは思わなかったのです」

「遺族の方への損害賠償などについては、今では考えられません。貴徳には罪をきちんと償ってほしいと思います」

全体的に厳しい父親と温かい母親像が伝わってくる両親の供述調書だ。星島被告はどこに殺したいほどの怒りを感じたのだろうか。

⇒(10)唯一の弁護側証人は元上司…目を合わせず、うつむいたままの被告