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(14)映し出される幼少時代の東城さん…嗚咽もれる法廷

法廷では東城瑠理香さんの母親の証人尋問が続いている。母親は検察官の質問に導かれる形で、犯行を知った前後の状況の説明に引き続き、東城さんの生い立ちを振り返り始めた。東城さんは長野県松代町(現長野市)で生まれた。

検察官「○○病院(実名)で生まれたのですね」

証人「はい」

大型モニターには、産声を上げた東城さんのかわいらしい写真が映し出される。

検察官「体重は」

証人「非常に大きくて4200グラムありました」

検察官「髪の毛は」

証人「たくさんありまして、真っ黒でした」

モニターは生後3カ月の写真に切り替わる。

検察官「育児はどうでしたか」

証人「大変ではありませんでした。夜泣きはせず、乳を飲むと寝ていました。○○(東城さんの姉)もかわいがって、寝ている瑠理香のところに行って『チュー』したり…。とても喜んでいました」

昭和60年3月のひなまつりの写真が上映される。当時6カ月の東城さんを、姉が後ろで抱きかかえている。その後、1歳の誕生日の写真に切り替わる。

証人「よろよろ歩きでしたけれど、歩いていましたし、言葉も片言でしたが話していました」

大型モニターの写真は、近所の神社で写した七五三の写真になった。東城さんは当時2歳。3歳の姉をお祝いしたようだ。

検察官「姉が千歳飴を持っていますね。東城さんも赤い着物を着ていますが」

証人「瑠理香も着物を着たいと言って着ていました」

検察官「奇麗な服が好きだったのですか」

証人「はい。そうです」

ウサギを抱えてピースサインした当時2歳の東城さん、3歳の誕生日を迎えた東城さん…。常に屈託のない笑顔を見せている。

検察官「ご主人は、祝い事はどうでしたか」

証人「大好きでした。(祝いの言葉などを)ありとあらゆるものにつるしたり、絵を張ったり…。(記念日には)毎回、こういうことをしていました」

検察官「東城さんは重病を抱えたことがあったそうですね」

証人「1度だけ。3歳の時です。盲腸で腹膜炎を起こして手術を受けました。医者は『あと少し遅れれば、死んでしまうかもしれない』と言っていました」

検察官「なぜ、発見が遅れたのですか」

証人「我慢強い子で、朝になって『おなかが痛い』と言い出して、慌てて病院に行きました。おかげさまで治りました」

東城さんに初めて妹ができたころの写真が映し出された。東城さん3姉妹は、いとこの姉妹とも、実の兄弟のように仲が良かったという。大型モニターには、小学校に通う4人が赤いランドセルを背負って並んだ写真が映し出された。二度と戻らない当時を思いだしたのだろうか。遺族席から嗚咽が漏れる。

検察官「(まだ小学校に通っていない)妹は写真に写っていませんが、けんかはありましたか」

証人「瑠理香はけんかをしません。いつも優しい言葉で『皆でこれやろう』という。すると(皆がその通り)自然にやるようになります」

検察官「どんな存在でしたか」

証人「いつも一目置かれる存在でした」

検察官「子供のころは?」

証人「とにかく負けん気が強く努力家。周りを思いやる子でした」

検察官「鉄棒や竹馬が得意だとか」

証人「とても得意でした。見えないところでコツコツと練習していました」

モニターは、入学式の写真や教室の写真に切り替わる。

証人「授業参観では後ろを見ずに、チョコチョコせず、安心してみていられました」

写真は再び、七五三の場面に変わった。場所は有名な善光寺。妹が3歳になったときだという。

検察官「(この時には)外国人から声をかけられたそうですね」

証人「『着物姿がかわいい』と言われ、写真を一緒に撮ってほしいとか言われました」

検察官「屋外に出かけることもありましたね」

証人「夏はキャンプに行きました」

東城さんが薪で遊んでいる写真が映し出される。

検察官「(3姉妹といとこの)5人は仲良くやっていましたか」

証人「非常に仲が良かったです」

検察官「誰が中心でしたか」

証人「いつも瑠理香でした。優しい口調で『これやってね』『これお願い』とやっていました。司令塔のようでした」

法廷では、幸せな家族の風景が伝わる数々の写真が「スライドショー」のように映し出され続けた。母親は、気を取り直したのか、気丈に話し続けていた。

⇒(15)「怖がりなので、安全には人一倍気を使ってきた」…中高時代の東城さん