(2)「完全責任能力」の7つの理由とは…
男性検察官が論告を読み上げる声だけが、法廷に響く。勇貴被告は青白い顔で前方を見つめている。論告が始まる前、1度だけ座り直したものの、それ以降は体を一切動かさない。
検察官「公判で勇貴被告が述べた供述は場当たり的で、信用することができません。亜澄さんと仲は悪くなかったと言うが、それではなぜ亜澄さんをあざができるくらいに殴ったのでしょうか。歯学部受験のプレッシャーはまったく感じなかったということはあり得るのでしょうか。公判での勇貴被告の供述は、あまりに不自然です。勇貴被告は、自分の記憶内容の正確さが問題になっていると理解した上で法廷で証言しています」
検察官は、第2回公判で行われた被告人質問と、精神鑑定後に行われた第5回公判での被告人質問での証言の相違点を挙げていく。犯行時の精神状態が公判の争点になっていると知った勇貴被告が、証言を変遷させたと指摘したいようだ。
検察官「亜澄さんから『勇君は自分が勉強しないから成績が悪いと言っているけれど、本当は分からないね』と言われたことを、第2回では『間違いないと思う』と言っていたが、第5回では『その時その場所で聞いたかはわからない』と話を変えました。浴室での記憶も、第2回では『うんちが排水溝にあるといった情景…などを記憶しています』と供述したのに、第5回では『思い浮かばない』と変わっており、記憶通り供述していないことは明らかです」
「勇貴被告には、公判で捜査段階での供述を変える動機があります。捜査段階と違い、公開の法廷で動機や犯行状況を供述するには抵抗感が大きいはずです。また、(捜査段階での供述内容が)両親の心情を傷つけることは明らかです。動機や犯行状況を供述しない理由はあります」
検察官は、勇貴被告の量刑を決めるに当たり、もっとも重要なカギとなる精神鑑定の信用性について、7つの理由を挙げて順に否定していく。公判での供述が信用できないと指摘された勇貴被告だが、心ここにあらずといった様子で、手をひざに置いたまま動くことはない。
検察官「勇貴被告の精神状態は、捜査段階での供述を元に判断すべきです。完全責任能力が認められる理由は7つあります。1つは簡易鑑定の結果です。公判前に行われた簡易鑑定で、精神病状態は認められませんでした。2つ目は動機に了解可能性があること。勇貴被告は受験で追いつめられ、被害者を憎らしく思っていました。勉強しても無駄と言われ、我慢できず殺害に至りました。動機は十分理解可能です」
「3つ目は、犯行態様が合理的で目的に沿っている。首を絞めた後、失敗したため溺死させようとする犯行態様は合理的です。責任能力を疑わせる点はありません。4つ目、死体損壊の動機も了解可能です。遺体を3階の自室に運搬するため切断した。ビニールに収めたのは、においを隠すため。浴室は、血を流すことができ、いずれも理解可能です」
「5つ目、死体損壊の犯行態様も了解可能です。胸や尻を切り取っているが、勇貴被告は亜澄さんが売春をしていたと疑っており、胸や尻といった部分を汚らわしいと思っていました。潔癖症の勇貴被告からすると、理解できます」
傍聴席には、勇貴被告の両親とみられる男女が座っている。被害者の両親であり、被告の両親でもある2人は、公判で明るみにされる息子と娘の“行状”を黙って聞くしかない。
検察官「6つ目は証拠隠滅工作を行ったこと。『サメの死骸がある』と父親に伝えるなど、その場の状況で知能を働かせました。7つ目は犯行まで通常の社会生活を送り、取り立てて異常さを伺われるような行動はなかった点です。簡易鑑定の結果を踏まえ、完全責任能力があったことは明らかです」
「平成20年4月、最高裁は『採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、鑑定人の意見を尊重すべき』という決定を出した。これは逆に、採用できない事情があれば、従う必要はないということです」
検察官は次に、公判が始まってから行われた精神鑑定について、信用できない理由を3点挙げた。
検察官「1つ目は鑑定の経緯。責任能力の有無を判断することを目的としたものではなく、手法は通常と一部異なりました。責任能力の有無を適切に問えるものではありません。2つ目は、鑑定資料の選定など鑑定方法が適切でないこと。捜査段階の供述を判断資料から除外し、独自の問診結果を資料とするなど、鑑定の前提条件が違います」
「3つ目は判断過程が適切でないこと。(鑑定人の)牛島教授自身が『解離性同一性障害の判断は推測や仮説に過ぎない』と認めているように、解離性同一性障害という判断自体、根拠に乏しく、説得力に欠けるものなのです」
精神鑑定の信用性を否定する検察官。勇貴被告は身じろぎもしない。検察側の論告は、精神鑑定から、勇貴被告の情状について移っていく。