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(10)「救急車呼んでれば」「人の心感じられない」涙ながらに両親 入れ墨の意味は…

東京都立墨東病院の胸部心臓血管外科の男性医師に対して、山口裕之裁判長からの質問が続いている。保護責任者遺棄致死などの罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)と一緒に合成麻薬MDMAを飲んだ飲食店従業員、田中香織さん=当時(30)=の容体が急変した約30分間の症状の変化について、質問していく。押尾被告は裁判長の方に目を向けている。

法廷内の左右の大型モニターには、田中さんが「ベッドで突然あぐらをかいて、意味不明の言葉を発するようになった」状態から、「無表情で一点をにらみつけ、うなる」などの状態を経て、「目を開けたままあおむけに突然倒れる」までの症状の変化の様子が、色分けされて図示されている。「あぐらをかいて」が青色で塗られ、「あおむけに倒れる」が赤色で塗られている。

裁判長「肺水腫の症状が出るまでに、青の症状から赤の症状までは、先生のこれまでの経験からすると30分はないとおかしいですか」

証人「はい、その通りです。そう考えていただいて結構です」

裁判長「ベッドであぐらをかいたのは、心臓に症状が出ていたためですか」

男性医師は、どう答えればいいのか悩んでいるようで、証言台に座ったまま下を向いている。

裁判長「時間の経過を知りたいので専門家の見地から聞いています。もう一回聞きますが、あぐらをかいてから脈を打たなくなるまでに30分以上ないとおかしいということですか」

証人「はい、そう考えてもらって結構です」

男性医師への質問は終了した。左右のモニターに映されていた症状の変化についてのチャート図が消された。次の証人が入廷するまでの間、押尾被告は弁護人と言葉を交わしている。弁護人は笑顔を見せている。

次の証人が入廷した。頭を丸刈りにした中年男性だ。押尾被告は男性に向かって軽く会釈をした。男性は裁判長に促されて、自分の氏名と宣誓書を読み上げた。検察官からの質問が始まった。検察官は、証言台に座った男性の右横近くから質問していく。

検察官「あなたは田中さんのお父さまですね」

証人「はい」

男性は亡くなった田中さんの父親だった。父親はなまりのある、少し口ごもるような話し方で質問に答えていった。

検察官「香織さんが生まれたときはどんな気持ちでしたか」

証人「待ち望んでいた子だったのでうれしく思いました」

検察官「小さなころは父親の後をトイレまでついてきたそうですね」

証人「はい。仕事から昼過ぎに帰ってくると、風呂もトイレにもついてきました」

検察官は、田中さんの子供のときの写真を検察官、弁護人、裁判官の席のモニターに映し出して、質問していく。法廷内の大型モニターには映されない。

検察官「次の写真は、大人になってからお父さんとお酒を飲んでいるときの写真ですね。家族でよくこういう風に楽しんだんですか」

証人「家族4人で東京で居酒屋で飲んでいるときの写真です。今ではもう飲めません。残念です」

続いて父親は、検察官にうながされて押尾被告への手紙を読み上げはじめた。手紙を持つ両手はふるえ、涙声で読み上げていく。押尾被告は、うつろな目で証言台の方を向いている。テレビで見せていた鋭い視線は消えている。

証人「私が残念で仕方がないのは、押尾被告が何で娘が苦しんでいるときに、119番通報して救急車を呼ばなかったのかということです。もし救急車を呼んで治療してもらっていれば助かったかもしれないし、助からなくても親として納得ができたと思います。それどころか、証拠隠滅や責任をなすりつける行為を行っているのは親として許せません。親としてはこの事件の最高の刑で罪を償ってほしいと思います」

短い言葉だが、涙ながらに語られた言葉からは、被告への強い恨みが感じられる。押尾被告は言葉を聞きながら、落ち着かない様子でまばたきをしたりしている。

父親に代わって、次に田中さんの母親が証人として入廷した。父親同様に氏名と宣誓書を読み上げてから、検察官の質問に答えていった。はっきりと明るい声だが、娘への悲しみが高まった際は、涙声になる場面も。

検察官「申し上げにくいことだが、香織さんもMDMAを服用していましたね。香織さんの行いに非難するべき点もあったのはお分かりでしょうか」

証人「娘が自分で歩いて部屋に行ってMDMAを服用したのは、娘も罪を犯したのだとずっと思っていました。被告に奥さんとお子さんがいるというのを聞いてからは、胸が痛む思いでした」

検察官「香織さんは以前結婚していましたが、子供さんはいませんでしたね?」

証人「はい」

検察官「その関係で香織さんはある“戒め”をかけていましたがご存じですか」

証人「娘が入れ墨を入れたことでしょうか。私も主人と一緒にそのことを聞かされたのは、娘が20歳過ぎのことでした。そのころ、娘は『どうしても産めなかった子供の命を弔った』と話してくれました。『一生その子のことを忘れずに暮らさないといけないけど、時間がたつと忘れてしまう。だから、そのときの赤ちゃんと一緒にいるために入れ墨をいれたんだ』と話してくれました」

「赤ちゃんが笑った顔と花をモチーフにしてあります。そう話した娘に、主人は一言も言いませんでした。私は(このことを)胸に刻んでいました」

検察官「暴力団との交際の中で入れたのではないのですね」

証人「はい。それは10年前のことです」

検察官「最後に、お母さんはメモに書いてきてくれたのでそれを朗読してもかまいませんでしょうか」

田中さんの母親は、父親と同様に書いてきた文書を読み上げ始めた。

証人「香織が亡くなる1カ月ほど前に、香織の弟夫婦と私たち夫婦の4人で、香織の家に旅行に行ったことがありました。そのときの話で忘れられないことがあります。香織の父親は運送会社を定年を延長して働いていましたが、ころ合いを見て引退するつもりでした。そのことで香織から頼まれたことがあります」

「『おっ父は、大きなトラックの運転手をして育ててくれた。私はおっ父が最後と決めた日に、弁当を作って送り出したい。かならずその日を伝えてちょうだい』と頼まれました。主人がトラックを降りると決めたのは、娘が亡くなった(昨年)8月の翌9月の30日でした。知らせてあげられませんでした」

田中さんの母親は、声を震わせ涙声ながらも手紙をしっかりと両手で持ち、はっきりとした声で読み上げていく。

証人「昨年8月2日の夜、失われていく命を前にして、大切な娘の命とはかりにかけたのは、被告が失いたくなかったのは何だったのでしょうか! 娘が亡くなってから亡くなった人を思ったことはありますか。私たちはわびてほしいとは言っていません」

「亡くなった人の冥福(めいふく)を思う気持ちが感じられません。実際、私たちははがき一枚受け取っていません。あまりにも無責任で、人の心が感じられません。親として望むのはただ一つ。娘の人生に残されていたであろう時間と同じぐらい長い刑と、娘の命と同じぐらい重い刑を望みます」

田中さんの母親が証言を終え、証言台を立つと、押尾被告が母親の方に向かって静かに一礼した。その後は、ひざに手をおいたま、うつむいた状態で一点を見つめている。

次は、弁護側が証拠採用に合意した供述調書などについて、検察官が読み上げる。検察官が準備を進める中、押尾被告はノートに何かを書き、隣の弁護士に見せる。だが、弁護士は首を振った。何かを訴えたいようだが、否定されて約20秒ほど目頭に手をやると、「はー」と大きなため息をついた。

検察官の供述調書の読み上げが始まる。押尾被告の経歴や戸籍、前科調書、事件にかかわる押尾被告の供述経過が5分ほどかけて読み上げられると、山口裁判長が休廷を告げた。約30分間の休廷を挟んで、押尾被告を取り調べた検察官への証人尋問が行われる予定だ。

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