(3)「被告は公判で謝罪したほかは何もしていない」…遺族に強い処罰感情
星島貴徳被告は、引き続き、東城瑠理香さんの遺体を解体しようと考え、ベッドマットに流れた血をバスタオルで吸い取るなどした後、浴室に運んだ。遺体の衣服をはさみで切り、平成20年4月18日午後11時50分ごろから、遺体の解体を始めた。
ペティナイフやのこぎりを使って、遺体から頭部を切り落としてから、両足と両腕を付け根から切り落とした。切り落とした足と腕はゴミ袋に入れて冷蔵庫に、頭部はゴミ袋に入れてクローゼット内の段ボール箱に、胴体はゴミ袋に入れてベッドの下の段ボール箱にそれぞれ隠した。
星島被告は、19日午後9時ごろから20日午前4時ごろにかけて、ペティナイフや洋包丁を使って、遺体の両腕や両足を細かく切り刻み、のこぎりを用いて指を切り落とし、水洗トイレから下水道管に流した。骨も細かく切断した。
星島被告は、午後8時ごろから翌21日午前7時ごろにかけ、のこぎりなどを用いて、遺体の胴体から、内臓を取り出して細かく切り刻み、胴体を小さく解体し、骨を細かく切断し、水洗トイレから下水道管に流した。
星島被告は、午後9時ごろから翌22日午前1時ごろにかけ、のこぎりや安全かみそりを用いて、死体の頭部から、髪の毛をそり落とすなどし、頭蓋骨(ずがいこつ)を切断して水洗トイレから下水道管に流すなどした。
その後、星島被告は23日にかけて、遺体の骨をさらに細かく切り刻み、計3回にわたり、骨の一部を手提げかばんに入れて外に持ち出し、マンションのごみ置き場のごみ箱の中に投棄した。
25日から27日にかけて、腐臭を放つ骨片を鍋で煮て細かくして、それらの骨や肉片、歯などを水洗トイレから下水道管に流した。
さらに同月29日、コンビニエンスストア北側のごみ箱に骨の一部を投棄し、5月1日、自宅の最寄り駅のごみ箱に残りのすべての骨を投棄した。
「戦慄さえ覚える」
星島被告は東城さんを強姦しようと自室に連れ込んだが、思いのほか早く警察官が捜査を開始していたことから、自分が逮捕されてしまうのではないかと思った。もし逮捕されれば、月額50万円を稼げる仕事や、それなりにぜいたくな暮らしなどを失うと考え、東城さんの存在自体を消してしまうしかなく、そのため東城さんを殺害し、死体を解体して投棄しようと考え、殺人、死体損壊、死体遺棄を実行した。
その動機は、事件が発覚して逮捕されることを恐れるあまり、東城さんの生命や未来、心情、東城さんを取り巻く人たちの気持ちなどに思いを巡らせることなく、ただひたすらに自己の身勝手な保身のみを求めた。東城さんをあたかも廃棄すべき物のごとく扱ったもので、自己中心的で卑劣であるというほかない。
そして、殺人の様子は、目隠しをされたままあおむけに横たわり、抵抗できない状態にあった東城さんに近づくと、右手でその口を押さえ、殺意に基づいて、左手に持った包丁を何の前触れもなく、いきなりその首に突き刺し、さらに体重をかけて奥まで突き刺した。
5分ほど経過しても被害者が死亡しなかったことから、できるだけ早く死亡させるため、左手で包丁を抜き取って大量に出血させたというもので、残虐かつ冷酷である。
遺体損壊や遺棄の犯行は戦慄(せんりつ)すら覚えるものであり、さらに遺体の細片を汚物同様に水洗トイレから下水道管に流したり、他のマンションやコンビニエンスストアのごみ箱に投棄したりしており、死者の名誉や人格や遺族の心情を踏みにじるきわめて卑劣なものである。
星島被告のこれらの殺人、遺体損壊、遺棄の各犯行が、遺族らが東城さんの安否を憂慮し、警察官らが捜査を行っているすぐ問近で行われていたことも、見逃すことはできない。
苦痛、絶望、無念…
東城さんは、3人姉妹の二女として出生し、いとこ姉妹とも姉妹同然に育てられた。長野市内の小学校、中学校を経て、県立高校を卒業後、平成15年4月、神奈川県内の女子大学に進学した。
東城さんは、高校時代から海外留学を志して英語を熱心に勉強していた。大学の1学年10人の留学枠に入り、16年3月から1年間、カナダの州立大学に留学し、留学中には、英語教員資格を取得した。
19年3月に大学を首席で卒業した後は、美術やファッションなどに関する職に就くことを目標にしながら、美術関連の会社でアルバイトをするなどし、20年1月上旬から、本件当時勤めていた会社に勤務し、熱心に職務に励んでおり、将来に大きな希望を抱いていた。
東城さんは、たまたま星島被告の住む918号室の2つ隣の部屋に住んでおり、何らの落ち度がないにもかかわらず、勤務先から帰宅して玄関にいるところを凶悪な犯行の犠牲になったものである。
東城さんは、防犯設備を備えて安全であるはずのマンションの安心できる場所であるはずの自宅で、突如として星島被告に襲いかかられて、拉致され、目隠しをされるなどして星島被告の部屋に連れ込まれた。
体の自由が利かない状態に手足を縛られ、いいようのない恐怖を味わったばかりか、突然何の前触れもなくその首に包丁を突き刺され、23歳という若さで、その尊い命と未来と希望とをすべて奪われた。東城さんの苦痛、絶望、無念の思いは察するに余りある。
「死刑が当然と思います」
東城さんの両親、姉妹らは、東城さんと親愛の情で結ばれて穏やかな生活をしていて、東城さんが行方不明になった後も、生存を信じ捜査にも協力してその帰りを待ち続けた。
にもかかわらず、その願いはかなうことなく、骨片になった東城さんと対面せざるを得なかった。東城さんの遺体は、細かく切り刻まれ、水洗トイレから下水道管に流されたり、ごみ捨て場に捨てられたりした。
本件後、わずかに骨組織49片、組織片172片となって発見された。それ以外は、いまなお下水道管などに留まっているとみられる。遺族らの悲嘆と苦痛はあまりにも大きく、これら骨組織や組織片のDNAの型が東城さんのものと一致していることが明らかになった後、遺族らは東城さんが死亡したことを現実として受け入れることができないままでいる。
東城さんの母は、公判に出廷し「何にも悪いことをしていないのに殺され、下水道や生ごみと一緒にばらばらにされて流されてしまった。何で犯人の星島がこの世に生きていなきゃいけないんでしょうか。生きる価値のない人間だと私は思っているから、死刑が当然だと思っています。それも味わった以上の恐怖、痛み以上のものを負った死刑です」などと述べた。
東城さんの姉は、公判に出廷し、星島被告に対して望む刑罰を尋ねられ、「死刑だと思います。(星島被告が)死んでも許せません。きっと、お墓ができたら、ハンマーを持って殴りに行きたいと思います」などと述べた。
東城さんの父も検察官に対し、極刑に処せられるのは当然で、公開処刑になることを望むなどと述べるなど、処罰感情はいずれも強い。
また、東城さんの友人らも、厳しい処罰感情を述べている。にもかかわらず、星島被告は遺族らに対し、公判で謝罪したほかは何もしていない。