木嶋被告手記(2012.4.14)

 

5 「自分を守る最善の方法は黙秘である」

木嶋被告

 人間の過去の記憶は、それ程正しいものではありません。勘違いや思い違いをすることもあります。人が遭遇する出来事や言動は、合理的に説明できることばかりではありません。経験した全てのことを覚えている訳でもありません。数カ月、数年前の出来事や情報を、正確に記憶の中から引き出せる人の方が少ないでしょう。

 忘却の彼方(かなた)にある曖昧模糊(あいまいもこ)とした記憶を、手探りで思い出しながら話をしていくと、以前伝えたことが間違っていたことに気付くことも、当然のごとくあるものです。

 でも、取り調べでは供述調書を作成していたら、裁判でも訂正をしても、検察側に、今まで話していたことは嘘(うそ)だ、あるいは調書の内容こそ本当だ、矛盾している、信憑(しんぴょう)性がない、と揚げ足を取られます。裁判ではその調書を、鬼の首でも取ったように、自己矛盾供述だなんだかんだと検察側は責め立てます。調書を作ることは、検事を喜ばせ、難癖をつける恰好(かっこう)の材料を敵に与えるだけなのです。

 一方で、被害者側の供述調書は、捜査機関が親切を尽くして、資料を見せながらヒントを提供し、懇切丁寧に指導して、間違いや過不足があれば何度でも作成し直しています。同じ人物から同じ件について、繰り返し事情聴取し、調書が練り直されていくトリックの過程は、開示された膨大な刑事訴訟記録を読んで、よくわかりました。

 逮捕された者が、落ち着いて証拠書類を見ながら事実関係を確認し、記憶の整理ができるのは起訴された後なのです。事件の性質や弁護方針にもよりますが、私個人の意見として、真実を元に裁判を受ける為には、供述調書を作成すべきではないと確信しています。取り調べで黙秘を貫き通す為には、弁護人のしっかりしたサポートが不可欠です。

 密室で取調官に囲まれ、長時間詰問される取り調べの凄(すさ)まじい実体は、一般の人には想像を絶するものでしょう。被疑者としての自分を守る最善の方法は黙秘であると、裁判を終えた今でも、強く感じています。全ては法廷で明らかにすれば良いのです。

 昨今、取り調べの可視化が議論されているようですが、今回の裁判を経験し、取り調べの録音録画をすることで、果たして取り調べ状況が変化するのだろうか、と素朴な疑問を持ちました。それは、検事が法廷で恥ずかしげもなく、大声を張り上げ、とても正気の沙汰とは思えない、冷静さを欠いた威圧的な言動を繰り返す様子を見て、検察は正義を取り違えていると感じたからです。

 検察は真実を解明したい訳ではなく、自分たちが作った筋立て通りのストーリーを押し付けたいだけで、それを認めさせることが正義だと思い込んでいるのです。そのような在り方を、正しいと信じている検察は、これからも、自分たちの主張が通るまで手段を選ばず、強引な誘導により罪を認めさせ、検察に都合の良い調書を作り続け、被告人を陥れるのでしょう。

 被疑者の人権を守り、適切な取り調べを行うには、弁護人を同席させるより外ないと思います。現実的にそれが困難な現状では、黙秘権を行使するしか、自分を守る手立てはありません。

 しかも現状の取り調べは、黙秘する被疑者を朝から晩まで取調室の椅子に縛り付け、脅迫を続けるという我慢比べです。警察や検察にも、それが正しいものかは別として、正義感と信念を持って仕事をしているのでしょうから、被疑者を取調室に呼び出すことは、当然だと思います。

 しかし、被疑者が黙秘の意志を表明し、暫(しばら)く説得しても話さなければ、その日の取り調べは速やかに終了すべきです。起訴まで時間の許す限り取調室に拘束することは、人権を踏みにじる行為だと思います。そのような取り調べによって真相が究明されたり、正しい供述調書が作成される可能性は、極めて低いでしょう。

 私は、全ての取調官を非難しているわけではありません。埼玉と千葉で、私の取り調べを担当した検事と事務官は、全員男性でとても紳士的な所作で対応してくれました。仕事ぶりも真摯(しんし)で、2組の検事と事務官にはシンクロニシティ(偶然の一致)を感じたことが、衝撃的な印象として残っています。

 埼玉の検事は、魂と性と文学について熱く語り、心の在り方について考えさせられ、その後、私が覚醒するひとつのきっかけとなりました。千葉の検事は、クラシック音楽と美術に精通した、礼節を守る男性で、芸術を通し検事の思いを察しました。

 ただし、取り調べは誰が相手であっても決して愉快なものではありません。二人の検事は、取り調べの為に警察署に日参したり、その他諸々(もろもろ)、いささか過剰な演出が見受けられましたし、彼らが持っている正義は、検察として共通のものでした。公判を担当した○○検事は、法廷で初めて会いましたが、特に関西方面の人たちから、○○検事の取り調べがいかにひどいものであるかを教えてもらいました。○○検事に代表される検察の在り方は、改善されるべきだと思います。

⇒木嶋被告手記6 「性について最小限の事実を正直に証言」