木嶋被告手記(2012.4.14)

 

4 「負けて諦めてしまったら終わり」

木嶋被告

 自分は加害者であるけれど、何かにおいては被害者であると分析できた時に、自分の抱える問題を解決するきっかけが訪れるはずです。

 今までのことから学び、反省し、大切なものと不必要なものを把握して、現状に打ち勝つバネにすることができたなら、その時にはひとまわり大きな自分を得られるでしょう。私はいつもこのように考えています。何にでも、負けて諦めてしまったら終わりなのだと。辛い勾留生活を乗り越えたからこその、自己治癒が可能な側面もあります。

 私は留置場生活で廃人同然になってしまいました。逮捕直後は混乱し、常軌を逸する報道にうんざりして、ポジティブに考えることができない時期もありました。拘置所に移り、職員の凜(りん)然たる態度の中にある温かい人情に触れ合い、家族と弁護人に支えられ、更生する活力を取り戻しました。留置場では動物扱いされ、人間らしい生活は難しくとも、心と身体を健全に保つことを常に意識しましょう。

 健康第一です。体が健康でなくては、自分の罪や悪と深く正しく、目を逸(そら)らさずに向かい合うことはできないのではないかしら。ゆっくりと深呼吸すること、ストレッチングとマッサージで、頭皮から爪先まで肉体を柔軟にして、気、血、水の流れを整えること、清潔に留意すること、よく噛(か)んでしっかり食べて、夜にきちんと眠ること、瞑想(めいそう)すること。これらを修行と考えて、毎日継続することで、私は心身共に健康を保っています。

 罪についてばかり考えていると、何事も悲観的な見方に傾きがちになります。読書やヨーガをしたり、日記や手紙を書いたり、敢(あ)えて事件以外のことを考えたり、あるいは何も考えずリラックスする時間を作ったり、ラジオから流れる音楽に耳を澄ませたり、頭を切り替えて過ごすことで気持ちのバランスを取るように努めています。

 二度と同じ過ちを繰り返さないように、謙虚な気持ちで一生懸命生きて行けば、きっと周囲の人も応援してくれるでしょう。現実がどんなに厳しくとも、夢や希望、理念を忘れずに決して諦めないことです。絶望の中でも、真の優しい思いやりを感じることができたら立ち直れます。

 様々なハードルをクリアする為には、たった一人で良いから、骨身に染み入る情熱を注ぎ、どのような時も支え、見守ってくれる存在が必要だということを、世間の人たちにも理解してほしいと思います。本人の意志と周囲のサポートによって、将来に向けて不断に人間性を更新することが可能になるのです。

 物理的にも心理的な面においても、最終的に安心をして帰属できる居場所がある人とない人とでは、心の向きが違ってきます。何人にとっても、絶対的な愛情を超えるものはないですから。情報が溢(あふ)れ、時間に追われる日常の社会生活から隔離され、今まで当然のように接触していた人が物や情報を遮断することで、初めて見ることもあります。

 孤独の中で、落ち着いて心静かに自己の内面を見詰め、心の奥底にあるものについて考える時間を持つことは、有意義なものだと痛感しました。物事は、終わらなければ始まらないこともありますし、望まなければ叶(かな)わないのです。自分の身の上に起こった嫌なこと、悲しいことは結局、時間とさらなる良い出来事で埋めていくしか方法がありません。

 私は勾留中に、たくさんの手紙を受け取りましたが、一番多い質問は、取調べでなぜ黙秘したのか、というものでした。

 私は黙秘する意志を表明してからも、連日狭く薄暗い部屋に呼び出され、朝から夜まで長時間の取調べを受けました。取調べでは通常、供述調書を作成します。大抵の被疑者は、刑事や検事の巧みな誘導尋問に引っ掛かり、捜査機関が想定した筋書きに沿った、供述調書という名の取調べ官による主張作文に署名することになります。

 特に否認事件の取調べは、イジメやリンチに近いものがあります。取調べを受けている段階では、被疑者は勿論(もちろん)のこと、弁護人にさえ捜査記録は一切開示されません。被疑者は、逮捕、勾留というショックを受け、絶望と不安に苛(さいな)まれ、無気力になったり、自暴自棄の状態に陥ったりして、心も体も荒(すさ)んできます。おぼろげな記憶を頼りに、判断能力も思考力も低下した不安定な精神状態で、執拗(しつよう)に質問を繰り返され、詰め寄られたら、取調べ官の意のままに供述調書が出来上がり、それが裁判で証拠となってしまいます。

 取調べ室という特殊な状況の下においては、被疑者にとって不利益な、真実ではない内容の調書を作成され、署名してしまうということが、普通の人が考えているよりずっと簡単に起こりうるのです。

⇒木嶋被告手記5 「自分を守る最善の方法は黙秘である」