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最終弁論(1)「迫害は真実。邪推でない」

【第1】公訴事実について

 1 公訴事実記載の行為を、被告人がなしたこと自体は争うものではない。

 2 責任能力について

 (1)しかしながら本件は、自分が被害者から迫害を加えられている、被害者に長女が危害を加えられるのではないか、という観念にとりつかれた被告人が、事理を弁識し自己の行動を制御する能力を欠いた状態で行ったものであり、責任能力は認められない。

 (2)本件においては、平成18年12月から、被告人と同居を開始した被害者は、自らは交際相手と絶縁させられて不幸な境遇にあった。これに対し被告人は夫や長女、さらには母とも幸せそうにしていた。そのため、自分の居場所や家族を失ったと感じた被害者が、被告人を、料理や長女の泣き声などに関して頻繁に怒鳴りつけたり、また財布、携帯電話または衣類の紛失などを仮装して、被告人にその責任をなすりつけるなどした。

 そして、ついには被害者は19年7月16日、「離婚していなくなるか、死んでいなくなるかどっちかにしろ」「おまえの大切なものを奪ってやる」と怒鳴りつけ、当然世の母親が最も大切にしているであろう長女たる実子に危害を加えんとする言動をなしたのである。

 その結果、被害者は被告人に、長女が危害を加えられる、殺されるのではないかという危機感を抱かせた。このような事情が本件の背景として存在する。

 こうして、被告人は19年7月16日に、夫と長女とともに同居を解消してアパートに引っ越した。

 しかしそれ以降、被告人は、被害者が自分を虐げており、このままでは被害者によって長女が危機にさらされるという恐怖感に支配された。そして被告人には、今までの「幸せな生活」を取り戻すには被害者がいなくなればよい−などという観念にとりつかれるようになった。

 よって被告人の犯行前の精神状態に関しては、「被害者に虐げられている」「被害者によって長女が危害を加えられる」という恐怖感、被害観念が明らかに認められるものである。

 (3)被告人は19年7月16日以降、被害者が自分および特に長女を殺すのではないかとの観念を抱いていた結果、保育園に自分または夫以外に長女を引き渡さないように要請している。

 (4)長女が義母と遊びに行った際も、被害者も一緒にいたが大丈夫なのかという内容のメールを送信している。

 (5)被害者を被告として訴えを提起したいと友人に手紙を書いたり、防犯カメラをつけたなどと、友人に手紙を書いたりしている。

 (6)被告人は、被害者のことが、自分および長女を攻撃するのではないかという観念が頭から離れなくなり、特に19年7月16日以降、夜眠れなくなっている。

 (7)このように、被告人には被害的妄想が明らかに認められるのである。

 (8)ただし、被害者が財布や携帯電話、洋服や健康食品が紛失したと訴えたことについては、被害者が自分を貶(おとし)めるため自作自演していると、少なくとも被告人には思われたのであり、被害者が社協に就職したこと、職場の配置換え、表札がなくなっていたことなどについても、被害者による迫害の一環であると被告人には思われたのであるが、これらは検察官が主張するような邪推や被告人の妄想ではなく、実際に存在していたものである。

 まず、職場での物の紛失は、被告人が社協に就職する以前は、物の紛失のトラブルはなかったのに、被告人が就職してからトラブルが起こっているところ、被害者の物の紛失に被告人は断じて関与していないこと▼通常施錠されているロッカーで、第三者の手によって物が紛失させられることが考えがたいことから被害者の自作自演の可能性が高く、次に表札については、被害者のタンスの中から発見されているため、被害者が被告人を排除するため表札を取り外したと優に推認できるものであるし、さらに異動についても、「いつ言われたの」「かわいそうだね」という被害者の被告人に対する言動から、被害者による策謀であったと認めることができる。

 なお他にも、長女に対する暴行についても、▼長女が泣き出してアザが生じた際、被害者と長女しか現場にいなかったこと▼被害者が後に「おまえが酔っ払って殴ったんだろ」という趣旨のことを被告人に言い放っており、この発言は、何者かによる長女への暴行があったことを前提にしている発言であり、自らの暴行を被告人に帰せしめようと理解するのが自然であることから、被害者が長女に暴行を加えていたことも邪推ではなく、真実である。

 よって、これら、一連の迫害に対する被告人の観念は、妄想ではなく、実際に、被害者が、被告人に対して行っていたものである。

⇒最終弁論(2)「被告は心神喪失。鑑定しなかった裁判所は不適切」