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(3)「質問を正確にお願いします」 長考し検察官には注文も

英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は約5分の休廷を挟んで再開する。

左側の扉から出てきた市橋被告は、証言台の前に立つと、リンゼイさんの両親に深く一礼したが、いつもと同じように顔をそむけられた。

検察側の被告人質問が始まった。

検察官「先ほど、逮捕後一度話せば自分に有利なように話してしまうと言っていたのは、あなたが現実に思っていたことですか」

市橋被告は少し間を置いて話しはじめる。

市橋被告「そうはなりたくないと思っていました」

検察官「供述調書を作成したとき、あなたはリンゼイさんの遺族に謝罪したかったのですか」

市橋被告「謝罪だけはずっとしたかった…」

検察官「(供述)調書には謝罪の言葉が載っていたけれど、言葉だけで十分だと思って謝罪したんですか」

男性検察官は、市橋被告が逮捕後、断食して黙秘するなどの行動をとって、犯行状況について口をつぐんでいたことを指摘したいようだ。市橋被告はしばらく黙ったあと、一語一語しっかりと話しはじめた。

市橋被告「事件の内容と、私の気持ちが入ればよかったです」

検察官「今述べた謝罪の気持ちってどういう気持ち?」

市橋被告「(供述)調書に書いてもらったことですか」

検察官「はい」

市橋被告「供述調書に書いてもらったのは、『彼女の死について私には責任がある。私はその責任を取る』ということです」

検察官「それ以上に謝罪の言葉を(供述調書に)載せてもらおうとは思わなかったの?」

市橋被告のはなをすする音が法廷に響く。泣いているようだ。

市橋被告「思いません。私がいくら言葉で謝っても、リンゼイさんは戻ってきません。私はちゃんとリンゼイさんの死について責任を取ると、それだけが言いたかった…」

リンゼイさんの父、ウィリアムさんの視線が宙をさまよっている。何かを考えているようだ。

男性検察官の質問は、犯行直前のリンゼイさんとのレッスンについてに移った。

検察官「駅前の喫茶店で行ったレッスンについて、レッスン料を持っていないということは、レッスン開始前から気付いていたのですよね?」

市橋被告はしばらく黙った。

市橋被告「飲み物を注文して、代金を支払うときに気付きました」

男性検察官はため息をついた。

検察官「『はい』、『いいえ』で答えられる質問は、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」

「飲み物の代金を払うというのは、レッスンを受ける前だったのでしょ?」

市橋被告は、またしばらく黙った。しびれを切らしたように、男性検察官が声を荒らげる。

検察官「黙秘したいのであれば、黙秘したいって言ってー…」

市橋被告「違います」

市橋被告が、男性検察官をさえぎって話しはじめた。

市橋被告「レッスンが始まったのがいつなのかを考えていて。飲み物を取ってきて席についてから始まったのか、それとも(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅で待ち合わせして、喫茶店に一緒に歩いて来るまでも話していたので、彼女のレッスンがどこで始まっているのか…。私は正確に答えたい。だから質問を」

いったん、市橋被告は口をつぐんだ。

市橋被告「だから質問を、もう少し正確にお願いします」

男性検察官は怒りを抑えているのか、腕を組んで下を向いた。後ろに座るリンゼイさんの両親を一瞬、振り返った後、質問を続けた。

検察官「あなたがレッスン代金を忘れたと、リンゼイさんに言ったのは、喫茶店を出る直前ですか」

市橋被告「出る前です」

検察官「どのくらい前?」

市橋被告「レッスンが、レッスンが終わる前です」

検察官「いずれにしろ、店にいる間、レッスンの終わり際になって、リンゼイさんに代金を忘れたと伝えたんでしょう?」

市橋被告「そうです」

検察官「喫茶店で、代金を払う時点でレッスン代を忘れたと気付いたなら、リンゼイさんを喫茶店で待たせて、代金を取りに行けばよかったじゃないですか」

市橋被告「そうです」

検察官「あなたの話を総合すると、今後もリンゼイさんのレッスンを受けていたいということじゃないですか」

市橋被告「そうです」

検察官「レッスンが終わり際の段階になって、レッスン料金取りに行く。そんな行動をすれば、信用されずにレッスンを続けられないのではないですか」

市橋被告「それもあります。でも、最初に喫茶店でレッスン料を払うお金がないことに気付いたとき、ここでお金がないと(リンゼイさんに)言ったら、最初のレッスンの雰囲気が悪くなると思ったので。私はリンゼイさんのレッスンを受け続けたかった。雰囲気を悪くしてはいけないと思いました」

男性検察官は質問を変えた。

検察官「あなたは喫茶店に青い手提げカバンで行った?」

市橋被告「いいえ」

検察官「その日は何らかのカバンを持っていってますか」

市橋被告「はい」

検察官「それは何色ですか」

市橋被告「黒色です」

検察官「なぜそのカバンを?」

市橋被告「…いつも使っているからです」

検察官「その黒色のカバンにキャッシュカードや運転免許証を入れたポーチは入っていなかったの?」

市橋被告「いいえ」

男性検察官の隣に座った、別の年上の男性検察官が書類を眺めて、顔をしかめている。

検察官「常に運転免許証などを持ち歩いていたのではないですか」

市橋被告「いいえ」

検察官「黒いカバンはどのくらいの大きさのものですか」

市橋被告はすこし考えている。

市橋被告「形はショルダーバッグくらいで、大きさは何の負担もなく肩に掛けられるくらいです。それしか正確なことは言えません。覚えていません」

リンゼイさんの母、ジュリアさんが、ウィリアムさんに何かを耳打ちしている。

検察官「喫茶店の後にタクシーに乗った?」

市橋被告「そうです」

検察官「(市橋被告の)マンションの敷地内までタクシーに乗って来たのなら、現金を部屋から取ってきて、駅まで引き返して、往復の代金を払えばよかったのではないですか」

市橋被告「もう一度」

男性検察官と市橋被告のやりとりに、男性弁護人が口を挟んだ。

弁護人「検察官、尋問はなるべく短く区切っていただいた方が分かりやすいかと思います」

男性検察官は顔を赤くしたが、ワンテンポおいて質問を続けた。

検察官「その場にタクシーが来ていたのなら、そのまま往復の代金を払って、そのタクシーで駅まで引き返せばよかったのではないですか」

市橋被告「私がですか」

検察官「はい」

市橋被告「1人でですか」

検察官「いいえ違います。リンゼイさんと駅までタクシーで戻ればよかったのではないですか。考えませんでしたか」

市橋被告「考えていませんでした」

検察官「あなたはタクシー代を払った後に『5、6分待って』と言ったのですか。払う前にどうして言わなかったのですか」

市橋被告「まずはタクシー代を払わなければ信用されないと思っていました」

リンゼイさんの両親は、市橋被告の答えを聞いて、顔を見合わせる。証言台の前に座る市橋被告は、検察側の被告人質問が始まってから、微動だにしない。

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