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(1)その瞬間…無表情で裁判長を見つめた

合成麻薬MDMAを一緒に飲んで容体が急変した飲食店従業員、田中香織さん=当時(30)=を放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死など4つの罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)の裁判員裁判の判決公判が17日午後3時6分、東京地裁(山口裕之裁判長)で始まった。芸能人初の裁判員裁判として高い注目を集め、9月3日の初公判から計7日間にわたって検察側と弁護側が激しく争った審理の結果がいよいよ下される。

起訴状によると、押尾被告は平成21年8月2日午後5時50分ごろ、東京都港区の六本木ヒルズの一室で、一緒にMDMAを服用した田中さんがけいれんを伴う錯乱状態に陥り、午後6時ごろには急性MDMA中毒症状を発症したにもかかわらず、救急車を呼ぶことなく放置し、午後6時47分ごろから同53分ごろの間に、田中さんを死亡させたなどとされる。

14日の第7回公判で、検察側は「119番通報以外に田中さんを助ける手段はなかったのに、自己保身のため通報を怠り、見殺しにした」として、押尾被告に懲役6年を求刑した。

一方の弁護側は保護責任者遺棄致死罪について改めて無罪を主張。知人男性(32)=麻薬取締法違反罪で有罪確定=からのMDMA譲渡などについては認めているため、執行猶予付きの判決を求め結審した。最後の意見陳述では、押尾被告が「私は田中さんを見殺しにするようなことは絶対にしていません」と裁判員らに必死に訴えかける場面もあった。

最大の争点は、押尾被告に田中さんの救命が可能だったかどうかだ。検察側は、「田中さんの死亡時刻は異変の約1時間後」としており、論告でも「異変直後に119番通報し、医療機関に搬送されていれば田中さんは助かった。心臓マッサージよりも通報を優先するべきだった」と主張。また、田中さんが持参したMDMAを使ったとする押尾被告の主張は「明らかなうそで、反省の情は皆無。死人に責任をなすりつけるもの」と厳しく批判した。

これに対し、弁護側は最終弁論で、異変が起きてから死亡するまでは数分程度で、押尾被告は人工呼吸や心臓マッサージといった救命措置を行っていたと指摘。「救急車を呼んでも救命の可能性は低かった」として保護責任者遺棄致死罪の成立を否定した。

検察側、弁護側それぞれが証人として請求した専門医の意見も真っ向対立している。検察側証人の救命救急医が「病院へ搬送されれば9割方田中さんを助けられた」と主張したのに対し、弁護側証人の救命救急医は「田中さんのMDMAの血中濃度は致死量を超えており、救命可能性は低かった」と述べている。

最大の注目は、鋭く対立する双方の主張を、男女6人の裁判員が、プロの裁判官3人とともにどう判断するかだ。これまでの公判で、裁判員は、難解な医療関係の専門用語が飛び交う法廷でのやり取りを、メモを取るなどして熱心に聞き入っていたほか、押尾被告や証人らに積極的に質問する場面も目立った。評議は14日午後と15日の終日行われたという。保護責任者遺棄致死罪について有罪か無罪か。有罪なら実刑か執行猶予付きか。裁判員らは元人気俳優に対し、どのような判決を下すのだろうか。

この日、わずか60席の傍聴券を求めて長蛇の列を作ったのは1319人。昨年11月に開かれた押尾被告の薬物事件の判決では1202人が並んでおり、さらに注目度は高まっている。

法廷は東京地裁最大の広さを誇る104号。午後2時58分、正面に山口裁判長、向かって右手には検察官、左手には弁護人が着席し、開廷を待っている。

午後3時4分、傍聴人の入廷などが終わり、山口裁判長に促され、向かって左手の扉から押尾被告が法廷に姿を現した。これまでの公判と同様、黒いスーツに白いワイシャツ、ブルーのネクタイ姿。肩までかかった長髪で時折、横顔が隠れるが、表情は暗く険しい。軽く一礼した後、傍聴席に視線を送ることなく、弁護人の横に座った。続いて裁判所職員の「ご起立願います」の発声とともに、男性4人、女性2人の裁判員が裁判官席の真後ろの扉から入廷。全員一礼した。

午後3時6分、山口裁判長が声をあげる。

裁判長「はい。それでは開廷いたします。被告人は前へ」

被告「はい」

押尾被告がくぐもった声で返事し、立ち上がって証言台の前に歩み出た。気を付けの姿勢を取り、間を置かずに山口裁判長が続ける。

裁判長「押尾学被告ですね。それではあなたに対する保護責任者遺棄致死事件、麻薬及び向精神薬取締法違反事件の判決を言い渡します」

被告「はい」

静まりかえった法廷内に緊張が走る。押尾被告は山口裁判長をまっすぐ見つめたまま微動だにしない。

裁判長「主文。被告人を懲役2年6月に処する。未決勾留日数中180日をその刑に算入する。東京地方検察庁で保管中の(麻薬の)TFMPP、カプセル入りのもの1錠を没収する」

主文読み上げが終了し、山口裁判長が「もう一度繰り返します」と告げると、傍聴席の報道陣は一斉に立ち上がり、速報を伝えるため慌ただしく法廷から飛び出していった。

押尾被告は微動だにせず、山口裁判長を真っ直ぐ見据え聞いている。実刑判決だが、表情に変化はみられない。

2度目の主文言い渡しが終了し、山口裁判長は「理由については長くなるので…」と、押尾被告に着席するよう促し、押尾被告は法廷中央の被告人席に着席した。判決理由の読み上げが始まった。

⇒(2)「信用ならない」…被告の主張を次々と否定する裁判長