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(3)「母は私を作品のように扱った」 採用決定で読み上げられる調書

約30分の休憩が終わり、いよいよ加藤智大(ともひろ)被告(27)の供述調書の採否が決まる。加藤被告はいつものように傍聴席に一礼し、弁護人の前の長いすに着席した。村山浩昭裁判長は審理の再開を告げた。

まず、村山裁判長は加藤被告の精神鑑定に関する供述調書について、証拠として採用することを告げ、検察官に朗読するよう指示した。

検察官「私は××先生(法廷では実名)に(平成20年)10月6日まで精神鑑定をしてもらいました。7月8日が最初で、最後は10月1日でした。××先生が1人で面接することもあれば、△△先生(法廷では実名)と2人で面接することもありました。十何回面接してもらいました」

男性検察官は加藤被告の供述調書を読み上げる。加藤被告の1回の精神鑑定の時間は2〜3時間。脳波検査やMRI検査なども受けたようだ。

検察官「私の方でもよく話を聞いてもらえるのがうれしくて、記憶にあることを正直に話しました。××先生と△△先生は優しく、よく話を聞いてくれました」

「不満を感じることはありません。感謝と言うとおおげさですが、全く(感謝の気持ちが)ないわけではありません。自分の記憶にあることを正直に話したつもりです」

続いて、審理は弁護側が「必要なし」とした2つの供述調書の採否に移った。加藤被告の生い立ちに関する調書と、犯行時に所持していた凶器に関する調書のようだ。村山裁判長は検察官に意見を求めた。

検察官は加藤被告の母親に対する気持ちや、ナイフの殺傷能力の認識に関し、法廷での供述が取り調べの調書と異なっていると主張。一方、弁護人は調書の内容が事件とは直接関係なく、また、法廷での被告人質問で十分だと主張した。

村山裁判長が2人の裁判官と小声で話し合い、加藤被告の供述調書の採否についての結果を述べた。

裁判長「結論として、乙号証(被告人の供述調書)を証拠採用します。任意性が争われていましたが、任意性に疑いなしと当裁判所は判断しました」

「また、必要性についても、事件に直接関する事実の立証だけでなく、経緯や動機も問題になりうると判断をしました。以上が合議の結果です」

弁護人が立ち上がる。

弁護人「異議を申し立てます。事件の調書は被告の迎合的な性格や、あいまいな記憶による捜査官の作文であることを否定できない。証拠解釈を誤る恐れがあります」

裁判長「検察官のご意見は」

検察官「異議には理由がない」

裁判長「異議に理由がないと認めます」

村山裁判長は検察官に調書を読み上げるよう告げ、「午前中にいけるところまでやってください」と要望した。女性検察官が読み上げの準備を始めた。法廷の大型スクリーンに「被告人の供述調書」との文字が映し出された。

検察官「被告人の経歴についてです」

加藤被告は青森県五所川原市で生まれ、青森市内に移り住んだ。前科前歴はなく、仙台市内で2段階右折をしなかったとして交通違反の切符を切られたことがあるという。

平成7年に青森市内の小学校を、10年に同市内の中学校を卒業し、県立青森高校に入学。13年に青森高校を卒業後、中日本自動車短期大学に進学した。

検察官「中学での成績はトップクラスでクラスで1、2番でした。進学校の青森高校に入学したあとの最初のテストに失敗し、母にさんざん怒られました。母への当てつけでわざと勉強しなくなりました」

「ただ、勉強ができないのではなく、勉強をすればできることを見せたかったので、地理だけは勉強をしました。地理はいつもよい成績でした」

加藤被告は短大卒業後、仙台市内の交通警備のアルバイトをし、半年で正社員になった。だが、残業代を支払わなかったので退職した。

加藤被告は17年4月に派遣会社に登録し、埼玉県内の工場で派遣社員として働いていた。だが、先輩とのつきあいがうまくいかず、また退職した。

18年5月からは茨城県つくば市の工場に派遣社員として勤務。しかし「フォークリフトの免許を取らせるという約束なのに取らせてくれなかった」との理由で3カ月で退職した。

19年1月、青森市内でトラックのアルバイトを3カ月働き、正社員に。しかし「社員になったら仕事がまわってこなくなった」ため、同年9月に退職。「両親に会いたくなかった」ため、約2カ月間、車で寝泊まりする生活をしたという。

加藤被告は19年11月から静岡県の関東自動車工業で派遣社員として勤務。ベルトコンベヤーで運ばれてくる車のボンネットやフレームの塗装検査の仕事をしていた。

検察官「独身で結婚したことはなく、交際している彼女もいません。両親とは1年近く連絡を取っていません。兄弟とも高校卒業後は会っていません」

「資産はありません。給料は手取りで19万円。アパートが会社の寮で5万円天引きされ、光熱費が1万3000円天引きされます」

検察官の読み上げる供述調書は、加藤被告の趣味などについても及んだ。

検察官「趣味は平塚や富士スピードウェイでレーシングカートを運転することです。たばこは吸いません。酒は缶チューハイを1日1本飲みます。飲むと気持ちが悪くなるのですが、寝付きがよくなるので飲むのです。生卵だけは食べられません」

「暴走族や暴力団に入ったことはありません。健康状態は良好です。血液型はO型で、クツのサイズは24・5センチです。目は乱視と近視で右が0・8、左が1・0です」

このほか、加藤被告が運転免許の取得時期などが述べられた。続けて検察官は加藤被告の母親への気持ちに関する供述調書を読み上げた。

検察官「家族のことで悩んでいました。父は無関心で母任せでした。母は教育熱心で厳しい人でした。私と弟をいい大学にいれようと、小さいころから勉強に厳しくあたりました」

「青森高校は行きたくなかったです。車の関係の仕事がしたかったので工業高校に行きたかったのですが、私の希望はまったく聞いてくれませんでした。青森高校に進学する道しか与えられませんでした。小学校のときに大工になりたいと思ったこともありましたが、母はまったく相手にしてくれませんでした」

「母は私のことを作品のように扱っていました。母は他人に(私のことを)自分のことのように自慢し、満足しようとしていました」

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